中日ではエースの吉見一起投手(28)が代表候補に選ばれながら、1月に右ヒジの不安から辞退しており、結局、同球団からはベテランの井端弘和内野手(37)ただ一人の選出となった。
落選者5人のうち、3人が中日勢。残ったのは井端だけで、高木守道監督(71)はさぞやショックを受けているかと思いきや、意外にも内心ではニンマリしているというのだ。
某スポーツ紙記者は「キャンプに入って、浅尾は右肩、大島は左ヒジを故障しました。その不安を抱えながら、代表合宿に合流しましたが、WBCで無理をしてケガでもされたら、たまったものではありません。公式戦開幕に間に合わなくなるのは間違いありません。山井は昨年の登板過多での疲れが心配されていました。この3人を本当は選んでほしくなかったというのが、球団のホンネでしょう。その意味で、不安視していた3人全員が代表から漏れたのですから、高木監督はホッと胸をなで下ろしているのではないでしょうか」と語る。
浅尾を守護神の最有力候補と考えていた侍ジャパン・山本浩二監督(66)としては、大きな軌道修正を余儀なくされたが、浅尾の選手生命を考慮すると、落選は妥当な選択といえた。
浅尾は昨年5月に右肩関節腱板(そんしょう)損傷のため、長期離脱している。シーズン終盤に復帰を果たしたものの、本来の投球ではなかった。そして、キャンプに入って再度右肩痛を発症。WBCどころか、開幕にも黄色ランプが点灯している状態。
大島は昨季、初の3割をマークし、盗塁王を獲得。1番打者として、チームに欠かせない存在だが、左ヒジの故障で今は休養させたいところ。
山井は昨季、先発、ロングリリーフ、セットアッパー、クローザーにフル回転。元々、故障が多く、1年間を通して1軍で働いたのは初めて、疲労が危惧されていた。
辞退した吉見を含めて、WBCで無理をさせて故障したのでは、チームには大きな損失で、中日球団としては心配の種がなくなって、ひと安心なのではないだろうか。
思えば、4年前の第2回WBC(09年)では、中日の岩瀬仁紀投手(38)、森野将彦内野手(34)、浅尾、高橋聡文投手(29)の4人が出場を辞退。追加招集の和田一浩外野手(40)も辞退し、一人の代表も送り込まなかった。中日は「WBCをボイコットした」とバッシングされ、物議をかもしたが、落合博満監督(59=当時)は「選手の意思を尊重しただけ」とコメントした。
第1回WBC(06年)で中日から代表に選考されたのは、谷繁元信捕手(42)、福留孝介外野手(35=現阪神)の2人。巨人と毎年、セ・リーグ優勝を争っているチームなのに、3大会で代表がのべ3人だけ。中日はWBCとは、とんと縁のないチームのようだ。
(落合一郎)