正確には、『笑点』の前身番組である『金曜夜席』(1965〜66年)の出演者の一人で、その人物の名は「柳家きん平」という。彼は『金曜夜席』が終わり、同じコンセプトを引き継いだ『笑点』が始まるまでの1ヵ月の間に謎の自殺を遂げているのだ。
当時の柳家きん平の死亡記事によると、1966年4月24日17時50分頃、国鉄田端駅(現在のJR田端駅)のホームからジャンパー姿の男が飛び込み即死した。身元を調べたところ、持っていた名刺から自殺したのが柳家きん平と判明した。
記事によると柳家きん平は『金曜夜席』のほかにテレビのレギュラーをいくつか持つ人気者だったが、亡くなる前の1、2年間は芸の「伸び」に苦しんでいたほか喘息の持病もあり、鬱に近い症状になっていたという。
なお、柳家きん平が亡くなったのは『金曜寄席』の放送が終了してからわずか2日後のことだった。「番組に迷惑をかけられない」と考えて、引き継ぎ期間中の4月末に自殺を決意したという話もあるが、動機は不明だという。
柳家きん平は『笑点』レギュラーにも抜擢されていたが、その自死により『笑点』への出演は叶わなかった。しかし、「幻のメンバー」であったことに変わりはない。なお、死亡した柳家きん平の後釜で入ったのが三遊亭小圓遊という落語家だった。その小圓遊も1980年に食道静脈瘤破裂で急死している。
現在は『笑点』の前身番組である『金曜寄席』に触れられる機会がないため、柳家きん平の存在はあまり紹介される機会はない。しかし、いつも明るい笑点メンバーの中で非業の死を遂げた落語家も存在することを忘れてはならない。