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団塊世代に媚びファッションを自由化しない「学校」「企業」 個性尊重の時代の幕開け

 「人の魅力は見た目じゃなくて中身だ」
 言われ続けている言葉だ。捉え方によっては間違いでは無いと思う。しかし、この一文だけでは、人によって捉え方が違ってくるはずだ。

 「見た目がどんなに良くても性格の悪い人に魅力は感じない」
 このように捉える人もいるだろう。ここでいう見た目とはは、「自分好みかどうか」だ。派手な人を好む人間が語る「見た目の良さ」は派手な人のことであり、清潔感のある人を好む人間が語る「見た目の良さ」は清潔感のある人だ。その人の好みによって「見た目の良さ」の基準が変わってくる。

 だから、派手な人を嫌いな人間は、派手な人を見ると嫌悪するし、地味な人を嫌いな人間は、地味な人間を見ると嫌悪するだろう。

■「性格の良さ」も人それぞれ判断基準が違う

 「性格の良さ」についても同じだ。自己主張の激しい人を好む人間もいれば、謙虚な人を好む人間もいる。

 自己主張の激しい人を好む人間からすれば、謙虚な人は、「何か物足りない」と苦手に感じるだろう。また、謙虚な人を好む人間からすれば、自己主張の激しい人は、「息苦しい」と苦手に感じるだろう。どちらの場合も相手に対して「あの人は性格の悪い人」と感じる可能性がある。

 ようするに、「見た目が良い」だとか「性格が悪い」だとかは、人の好みに大きく左右されると私は言いたい。

 ボクシングの亀田興毅君や、女優の沢尻エリカさん、元ライブドア代表取締役の堀江貴文氏、公認会計士で経済評論家の勝間和代氏。これらの人々を、「性格が悪い」と感じる人もいれば、「性格が良い」と感じる人もいるわけだ。

 だが、一般論として、日本人は欧米諸国に比べて「謙虚な人」を好み、自己主張の激しい人を嫌う傾向にあるように私は感じる。

 多くの企業では、入社時に従業員の髪型や服装を統一化し、個性を殺すように教育するだろう。いや就職活動中から始まっている。また、学校教育でも中学や高校までは髪型や服装に規制があることが多い。

 ところが、大学では髪型や服装は自由だ。なぜ中高ではダメなのに大学では良いのか。そして、なぜ企業に勤めるとまた規制されるのか。

■団塊世代に媚びて、見た目を統一する、「学校」「企業」

 それは、団塊世代の好みに企業や学校が合わせている、悪い言い方をすると「媚びている」のだ。

 取引先やお客様、生徒の保護者の目を気にしているから、このようなことが起きている。だから、これらの人が皆「髪型や服装を自由にするのなんて常識」と思っていれば、学校や企業で規制することは無くなるはずだ。このように考えると、大学で髪型や服装が自由な理由は、大学生の保護者が口を出してくる可能性は極端に低いからだと言えよう。

 見た目や性格の良さなどというものは、それぞれの「好みの問題」でしかないのだ。確かに美女や美男子と言われている人には目の大きい人が多いなど、一般的に好まれやすい見た目というものは存在する。汚い服装をしているよりは清潔感のある服装をしている方が好まれやすいというのも同様だ。

 しかし、それらも全て好みの問題だ。だから、私は全ての日本人に次のように要求したい。

 「もっと個性を尊重すべきだ」
 と。

 その上で、よい評価を受ける者はよい評価を受ければいいし、見限られる者は見限られればいいではないか。これから、「団塊世代」は退職していく。これから日本をになう「ポスト団塊世代」そして「団塊ジュニア」は、個性を尊重する社会を目指すべきだ。(だいちゃん)

【参照】非モテタイムズ
http://himo2.jp/

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