1980年のドラフト会議で社会人野球で輝かしい記録を数多く残した選手がヤクルトから1位指名を受けて入団した。竹本由紀夫がその人だ。
竹本は56年8月1日静岡県に生まれた。県立修善寺工業高から新日鉄室蘭に入社。79年の都市対抗野球大会ではエースとして投げ、ベスト8に進出する活躍を見せた。この年のドラフトではロッテに1位指名されたが、これを拒否した。
翌80年、世界選手権の代表に選ばれ、キューバ戦で好投した。そして都市対抗野球でも大昭和製紙北海道の補強選手として出場、準決勝まで勝ち進んだ。この年のドラフトで再び注目を集めた。そして、ヤクルトから1位指名を受けた竹本、石毛宏典(西武)、原辰徳(巨人)の3人がこの年のドラフト“御三家”とまで言われた。
竹本は右腕の即戦力として大いに期待されるが、その期待を裏切る結果となった。ヤクルトに4年間在籍したが、通算37試合に出場して、0勝5敗0セーブで、投球回数72回と3分の2、防御率4.71で引退した。社会人時代は輝かしい実績を残したにもかかわらず、プロでは1勝もできなかった。
引退後は、飲食店を経営するなど、さまざまな事業に手を出したがことごとく失敗、現在はその消息が知れないという。
ちなみにこの年のドラフトは前述の原、石毛以外に中尾孝義(中日)、川口和久(広島)、愛甲猛(ロッテ)、高木豊(大洋)、駒田徳広(巨人)、大石大二郎(近鉄)など、80年代のプロ野球を支えた錚々たる選手が輩出した。それだけに竹本のハズレが目立つものであった。