1億円を超える所得隠しは近年の芸能人の脱税事件としては相当な高額(板東英二は7500万円)の脱税事件であり、世の中に衝撃を与えたが、過去の芸能史では徳井を大幅に超える高額の脱税事件が芸能界で発生していた。
1970年1月、いけばな草月流の創始者の勅使河原蒼風(てしがはら・そうふう)という芸術家が脱税により東京国税局に摘発された。
朝日新聞など当時の報道によると、蒼風の脱税額はなんと5億円近く(資料によっては3億円という話もある)に及ぶとされており、1970年の大卒初任給の給料が6万円前後だったことを考えると、10億〜15億円の脱税額になると思われる。これは芸能・芸術の分野では歴代1位の脱税額とされている。
蒼風が創立した、いけばな草月流は当時の華道ブームの影響もあり、全国で100万人前後の会員と、30カ所近くの支部があり、会員から得た収入のほとんどを申告していなかったという。
蒼風は1900年生まれで、摘発当時は既に70歳。チュート徳井のような申告漏れにも見えるが、蒼風の場合は1966〜69年の3年間で弟子が昇進した際の高額の免許料(1人当たり1万〜2万円)をまるまる申告しなかったため、悪質な所得隠しとして摘発されたのである。
なお、蒼風は税金対策のため弟子と、指導する「先生」と呼ばれる高弟、家元である蒼風の間に法人企業を設けており、7割を法人に、3割を家元に直接入金するようにしていたが、設立した法人企業はほとんど機能しておらず収入を隠すために使われていたとされる。
蒼風の1966年の申告所得は1億5500万円で全国長者番付16位、芸能・スポーツ・文学のジャンルではトップの収入だった。あまりの高収入ぶりに全国から注目が集まっていたなかでの脱税発覚であり、世間に与えた衝撃は計り知れないものがあった。
ちなみに蒼風は追微税3億7千万円を支払った後、没落することなく亡くなる1979年まで約10年間長者番付に載り続け、圧倒的な財力と人気を世間にアピールし続けた。