式後ヒトラーは自殺用の毒薬の効果を確認するために、愛犬であった雌のシェパード犬 のブロンディを毒殺して、毒薬の効能を確認した。
ヒトラーが自殺した時間帯は、4月30日の午後3時20分から40分の間の出来事である。発見者のギュンスによれば、ヒトラーは左のこめかみを七・六五口径のワルサー拳銃で撃ちぬいたという。
だが、その節には異論がある。ヒトラーは左手が痙攣して不自由だったと言われており、ギュンスが左右を間違えた説や、イギリス歴史学者によると、撃ったのは口の中だという説もある。
その横には、毒を煽ったエヴァが花模様のドレスを着て絶命していた。二人の遺体は総統秘書のマルチン・ボルマンとギュンス副官らによって確認された。
ヒトラーは遺書の中に、自殺後の遺体の処理について書き残していた。それは、盟友であるムッソリーニが殺害された後、逆さつりにされて公衆の面前に晒された件を指摘し、そのような辱めを受けたくないということだった。ヒトラーは自らの遺体をガソリンで火葬することを望んだのである。
ヒトラーとエヴァの遺体はその後、毛布に包まれ帝国官房の中庭で、約200リットルのガソリンを掛けられて火葬された。その後、砲弾穴の中に埋葬された。
ベルリンに乗り込んできた赤軍兵士らは躍起になってヒトラーの遺体探しを始めた。その後彼らは、1946年にヒトラーの頭骨と称する骨を持ち帰り、モスクワの公文書館で保管されていた。
近年アメリカの調査によって、ヒトラーの頭骨とされるものが実際は20代から40代の女性の骨だと確認をされた。
ヒトラーの自殺直後から、ヒトラーの生存説が囁かれてきたが、いつの時代もヒトラーの亡霊を求めるオカルトマニアが多いようだ。