最年長は、26歳の中間淳太。父方の祖母が台湾人のため、クオーター。中国語に加え、英語も話せる。15歳でジャニーズ事務所に入所しているが、そのきっかけもインターナショナルだ。
小学生のときまで、台湾に在住。そのころ、KinKi Kidsの台湾公演があり、現地でジャニーズJr.のオーディションを受けると、ジャニー喜多川社長から直々に、「日本に帰ってきたら連絡ちょうだい」と名刺をもらった。小学生の高学年になったとき、無趣味だった息子の様子を見た母親が、電話をして、入所が決定した。
その5年後には(2008年)、人気ドラマ『ごくせん3』(日本テレビ系)に出演。翌09年には、関西のローカル情報番組でコメンテーターをするほど、スターへのレールが敷かれていた。
同じく、デビュー前から地元の関西でレギュラー番組を抱えていたのは、しゃべり担当の桐山照史。SMAPでは中居正広、関ジャニ∞では村上信五に値する桐山は、4月から、A.B.C-Z・河合郁人と一緒に『ザ少年倶楽部』(NHK BSプレミアム)の司会を務める。
中間と組んだコンビ名は、「B.A.D.」。これをジャニーさんは、すごいタイミングでつけている。関ジャニのコンサート会場のエレベーターで、桐山、ジャニーさん、関ジャニ・横山裕が一緒になった。横山が「ユニット名はあんの?」と聞くと、「まだない。じゃあ、今日からB.A.D.で」とその場で決め、エレベーターを降りたという。
ジャニーズWEST4(歌手デビュー発表時のユニット名)のデビューもジャニーさんは、コンサート開始30分前に、本人たちに告げている。この思いつきが、ヒット商品を生むカギなのか。行く末が楽しみだ。<この項、次週に続く>