選手兼任監督は06、07年のヤクルト・古田敦也捕手以来、7年ぶり。古田兼任監督は選手での出場機会が激減した上、監督としても06年がセ・リーグ3位、07年が同最下位と振るわなかった。
高木前監督の今季限りの退任が決まっていた球団では、後任候補として、立浪和義氏、牛島和彦氏、ケン・モッカ氏らのOBを中心にリストアップ。しかし、白井文吾オーナー(85)が落合氏と接触したことで、メディアでは「後任候補は落合氏と立浪氏に絞られた」と報じられていた。ところが、監督として白羽の矢が立ったのは、落合氏でも立浪氏でもなく、来季も現役を続ける谷繁だった。
今季、12年ぶりのBクラスに沈んだ中日。常勝軍団だったチームが凋落したことで、白井オーナーの頭に浮上したのは落合氏の復帰だった。落合氏は04〜11年まで8年指揮を執り、04、06、10、11年と4度リーグ優勝を果たし、07年には2位からCS(クライマックス・シリーズ)を勝ち上がり、日本シリーズを制した名将。
だが、落合氏が監督に復帰するとなると、最大のネックとなるのが、コーチ陣を含めた高額な年俸だ。落合氏の監督時の年俸は3億円(推定)を超えていたとされる。かつ、コーチの年俸も高く、スタッフも数多く使うため、人件費が高騰していたことが解任の理由といわれていた。
一方、落合氏解任のもう一つの理由とされた観客動員数の減少は、高木政権になっても続き、11年の214万3963人から、12年は208万530人と微減。今季は199万8188人と、95年以来、18年ぶりに200万人を割り込んだ。これは、ナゴヤ球場からナゴヤドームに本拠が移ってからは、初めての事態。
年々、観客動員が落ちていき、白井オーナーは「貧乏球団になった」と発言。資金難では、落合氏を監督として復帰させることは不可能。そこで、白井オーナーが考えたのが、アドバイザー的な形での落合氏への協力要請だった。
その会談で浮上したのが、落合氏の推薦があった谷繁監督案。白井オーナーに異論はなく、落合GM、谷繁監督に落ち着いた。監督より年俸が安くてすむGMなら、落合氏の招へいも可能となったのだ。人付き合いが苦手な落合氏は、後援会、タニマチ、地元財界からのウケが悪いが、監督ではなくGMなら、この障害もクリアできる。
そこで、問題となるのは反落合派でなる球団フロント陣。11年に落合監督(当時)をクビに追いやった“反落合”の急先鋒・坂井克彦球団社長(68)、当時球団代表だった佐藤良平氏(57)はオーナー権限で更迭した。編成を担当していた井手峻常務取締役球団代表兼連盟担当(69)は、取締役相談役に降格。新たに中日新聞社常務取締役広告担当の佐々木崇夫氏(66)が球団社長に就任し、落合氏の復帰に何の支障もなくなった。
谷繁は野村克也がもつ通算出場の最多記録3017に、あと117試合と迫っており、現役への強い執着もある。できれば、選手兼任監督は避けたいところだったが、落合氏を復帰させたくても、監督として再登板させられない大人の事情がある以上、これがベターな選択だったようだ。
10日に就任会見を開いた谷繁新監督は「ゼロに抑えれば負けない。そういう野球になると思う。ドラゴンズを強くしたい」と抱負を述べた。GMになる落合氏に対しては、「8年間一緒にやってきた。ボクの考え方も分かってくださっているし、落合さんの野球に対する考え方も、多少なりとも分かっている」とコメントした。
厳しい環境になると思われる選手兼任の立場で、Bクラスに転落したチームを、どう立て直すか、谷繁新監督の手腕が注目されるところ。
(落合一郎)