世間では、この『太陽にほえろ!』をキッカケに渡辺徹が注目されるようになったのだが、実は私は『太陽にほえろ!』をリアルタイムで見ていなかったので、渡辺人気がピンとこなかった。当時の私はというと、金曜日の20時は『ワールドプロレスリング』に夢中になっていた。さらに言うと19時半から『宇宙刑事シリーズ(ギャバン・シャリバン・シャイダー)』、21時からは『ザ・ハングマン』、22時からは『必殺シリーズ』を見ていた。この時間帯を男のテレ朝タイムと私は勝手に言っていた。
話しは横道に逸れてしまったが、それだけ渡辺の人気のすごさから遠ざかっていたのが現実である。そんな渡辺をしっかり認識して意識して見るようになったのは、82年4月に『彼(ライバル)』で歌手デビューした頃である。立て続けに2枚目のシングル『約束』を発売し、歌番組には欠かせない存在になっていた。当時は『ザ・ベストテン』(TBS系)の出待ちや『ザ・トップテン』(日本テレビ系)の観覧で渡辺を観る機会はあったが、話しをしたこともなかった。渡辺には俳優独特のオーラがあり、目の前にいても話しかけることもできず、ずっと見とれて帰る姿を見守るような感じが続いた。
すっかり歌手としても貫禄が出てきて、役者としても人気も高くなっていた頃の1987年10月に、ドラマでの共演をキッカケに交際をしていた榊原郁恵と結婚した。結婚披露宴はテレビ中継がされるほどの注目度で、まだ食えなかった私は、当時その会場でアルバイトをしていたのである。これはビッグチャンスが回って来たと喜んでいたが、その当日のアルバイトのシフトを決める時に、若かった私はシフトには入れてもらえず、世紀のビッグイベントを目撃することができなかったのである。
悔やんでも仕方ないが、渡辺とは2年後の10月から何と一緒に仕事をするようになったから驚きである。『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)で渡辺がレギュラー出演することになり、私はこの番組で前説を担当することになった。前説とは公開収録の始まる前や収録の間に、観覧者に注意事項の説明を交えてトークをする、いわば場つなぎの芸人をやっていたのです。場つなぎなので、テレビの本編に出ることは無かったが、収録に参加している出演者とは毎週顔を合わせることはできるので、次第にレギュラー出演者とも会話をするようにもなっていった。そこで渡辺とも顔見知りになって、収録毎には他愛の無い話しだったが良く談笑した。この時に披露宴のバイトに入れなかったことを話したら、一緒に悔しがってくれたのが印象的だった。
そこで約1年くらい前説をやっていたので、渡辺と毎週会えるのも当たり前だったが、いざ仕事が終ってみると当たり前が当たり前では無くなってしまった実感がジワジワと沸いてきた。
これ以降は渡辺と会う機会は一度も無いが、もし機会ができるのならもう一度会ってみたい。もちろん話しをしたいというのが主目的ではあるが、本人はどう思っているかわからないけど、かつて歌手として活動していた頃の曲を聞いてみたい願望もある。コンサートとは言わないので、そういう機会ができるのなら是非とも生で渡辺の歌声を聞きに行きたいと思う。もしかして歌手活動は黒歴史として封印してしまったのか?
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。