例えば、「守護霊」という人間を守護してくれる霊的な存在を指し示す言葉だ。この言葉と概念は一般的に明治以降に生まれたとされている。明治から昭和初期にかけて活躍した霊能者であり宗教家である出口王仁三郎に、心酔し協力した浅野和三郎が、西洋の心霊業界にあった「ガーディアン・エンジェル(守護天使)」という言葉を日本語に翻訳したのが始まりだという説が有力だ。つまり、欧米の心霊学の中にあった人間を守るスピリチュアル的な存在「ガーディアン・エンジェル」を直訳したために、維新以降は「守護霊に助けられた」「守護霊が教えてくれた」というパターン化された心霊談が生まれたと解釈している向きもある。
だが、実際には江戸時代から”守護霊的な概念”が日本人の中にもあった。学者であった平田篤胤が江戸時代に、“人間を守る霊的な存在”という概念を推察し、広めている。つまり、「守護霊」という言葉は、「ガーディアン・エンジェル」という言葉が翻訳された結果、生まれたわけではない。概念としては、日本では江戸期からあったにはあった概念である。
また、「水子」という言葉があるのを皆さんご存じだろうか。この「水子」という概念は、実は昭和に生まれたものである。江戸時代から永らく「水子霊」という概念があったものと思われているが、「水子霊」という概念は戦前や明治大正の頃にはまだなかった。今となっては「水子供養」というシステムは、寺にとって莫大なビッグビジネスになっている。つまり、仏教界が意図的に作り出した新しい“供養”ビジネスである。もし、「水子」という概念が江戸や明治時代にあれば、“口減らし”などという発想は生まれなかった。現代人の我々でさえ、ここまで「水子霊」を気にするのだ。江戸・明治の人々に「水子霊」の概念が一般的に存在したならば、胎児殺しなどはもっと減ったはずである。お寺の新規収入源として、1970年代に入り近代の概念として見出されたのが「水子」であるという指摘がある。
さらに、「心霊写真」という概念も、実は明治時代に生まれた。昭和あたりの近代に生まれたものと思いがちな「心霊写真」だが、既に100年近く明治時代からの歴史があるわけだ。しかし、今となってはこの「心霊写真」という概念は、説得力を持っていない。photoshopなど画像加工ソフトを使えば、誰でも気軽に「心霊写真」が作れる時代が来てしまったからだ。いやいやその数年前、稲川淳二のプロデュースする心霊写真ガチャポンが出て以来、心霊写真はその魔力を失ったと言えるのかも知れない。いまだにスマホ等で「心霊写真」を撮ったといって、筆者に見せてくれる人も多いのだが、昭和の頃感じたあの恐怖心はあまりない。「心霊写真」が怖かった時代、それはもう遠い昔の話だ。「心霊写真」という概念が、もはや終わりつつあるオワコンなのかも知れない。現代では「心霊写真」で人間が驚かなくなった“すれた時代”になっているわけだ。
「心霊用語」とは、常に新しい用語や概念が次々に作り出される。だが、時代とともに概念や用語は古くなり、そして忘れ去られていく。ある意味「心霊」とはその時代を映す鏡なのかもしれない。ちなみに、「心霊プリクラ」「怪談師」「ガチ怪談」「創作妖怪」などは、筆者が使い始め定着した心霊用語である。
(山口敏太郎)