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ワシントンの斧は原型をとどめているのか?(3)

 アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンといえば、真っ先に桜の木が浮かぶほど、少年時代に木を切ったエピソードは密接に結びついている。しかし、たわむれに桜の若木を切り倒し、問い詰めた父には悪事を正直に告白したという美談は、伝記作家による創作であったことが明らかとなっている。

 問題の美談を創作したのはメイソン・ロック・ウィームズ(パーソン・ウィームズの筆名でも知られる)という巡回説教師で、ワシントンが没した翌年には『ジョージ・ワシントンの生涯と記憶すべき行い』と題した伝記を出版しているのだ。ところが、伝記の初版はわずか80ページの薄い本で、桜のエピソードも記されていない。問題のエピソードが初めて言及されたのは1806年に発行された版で、その他のエピソードもふくめ初版よりも大幅に加筆されていた。

 ウィームズが桜の木をはじめとする架空のエピソードを伝記に盛り込んだ動機だが、日本のネットでは「経済的に苦しかったウィームズが販売部数の向上を図って創作実話を加筆した」との説が唱えられている。ところが、ウィームズのワシントン伝は発売直後から好調に売れており、増刷を重ねている。さらに、当時のウィームズは義父の農園を譲り受けており、それなりの資産も有していた。

 これらの背景を考えると、経済的な動機は存在しないと言ってもよい。

 では、なぜウィームズは創作実話を盛り込んだのか?

 最近の研究によるならば、創作実話を加筆した動機はあくまでもウィームズの作家的衝動、いうなれば読者へのサービス精神だったと考えられている。

 ウィームズはワシントンの死後、すみやかに伝記を出版するため、とりあえず最低限必要な部分を書き上げて印刷し、版を重ねる過程で加筆していった。先述のように80ページの初版から、ウィームズが最後に加筆したとされる9版は220ページ以上に増えたとされ、追加された内容の多くは創作とされている。とは言え、ウィームズはジョージ・ワシントンと面談したことがあり、またワシントンへ送った自著への返信を「ワシントンによる推薦状」として販売促進に利用しており(おそらくは無断だろうが)、両者に接点がなかったわけではない。

 つまり、ウィームズはワシントンとのかすかな接点から得られた断片的な情報に自身の創作を加え、伝記として書き上げたのである。そして、有名な桜の木を切ったエピソードについても、いちおうは事実にもとづいていると考える研究者もいないわけではない。

 独立戦争後、いったん軍を退いたワシントンは郷里で半ば隠居生活を営むが、その際に桜の木を切ったと日記に残しているのだ。

(続く)

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