「いかにせん みやこの春もをしけれど なれしあづまの 春やちるらん」
さすがに宗盛も哀れに思い帰郷を許した。しかし、熊野の懸命な看病にも関わらず、老母は亡くなった。母の葬儀を済ませると、宗盛の待つ都へ戻ることにした。ところが、衣の里(愛知県豊田市)まで来たところ、源氏と平氏とで大きな戦が行われ、平氏一門は西の方に追いやられ、滅ばされてしまったという事実を知ることになる。母を失い、主人であった平宗盛も戦死してしまったことを思うと、悲しみは深くなるばかりであった。
熊野は、この衣の里に落ち着くことにした。大きな松の木の側に粗末な草庵を結び、髪を下ろして尼になった。そして、毎日宗盛や平氏一門の菩提を弔う為にお経を唱えて暮らした。建久9(1198)年5月3日、この地で天命を全うした。その後、熊野の住んでいた庵の側に生えていた大きな松は「熊野が松」と呼ばれるようになった。現在、松の木は枯れ果て、愛知県豊田市十塚町にある駐車場の片隅に「熊野が松伝承地」という標柱だけが残っている。
(皆月 斜 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou