また2004年11月に野口英世に変わるまで、1000円札の肖像は夏目漱石であったため、彼の顔を知らない者も少ないといえる。
日本の文学に大きな影響を与え今なお名を残す明治・大正時代の文豪であるが、そんな偉大な夏目漱石にも様々な逸話が残されている。特に有名なのは、彼が癇癪持ちであったことだろう。それを肯定するエピソードがいくつか残されている。
一つは夏目漱石の弟子であった芥川龍之介が語るエピソードだ。
ある日のこと、彼ら二人は銭湯に行くことになった。
そこで体を洗っていたところ、漱石の隣で激しくお湯を浴びている男がいた。
男の水しぶきは隣に座っている漱石の顔を激しく叩きつけたという。
それが許せなかったのだろう、漱石はその場で「バカヤロウ!!」と叫んだ。
何事かと思い芥川がそちらを向くと、漱石が食いついていたのは非常に屈強な体の持ち主であったという。
この時は男のほうが素直に「すみません」と謝罪したので事なきを得たが、芥川は気が気でなかったという。
後に、漱石自身も怒鳴った後でどうしようかとハラハラしていたことが判っている。
さらに癇癪が向かう先は、自分に害を与えるものだけではなかった。
ある時、彼は自分の書斎に娘を呼び出した。
何もしていないのだが、呼び出された彼女は床に正座させられるとすごい勢いで睨まれたという。
それが恐ろしかったのか娘が泣くと、漱石は癇癪を起こして娘をぶったそうだ。現在ならば虐待と認定されて大きく報道されそうなものである。
また彼は自信家としても知られている。代表作「吾輩は猫である」を発表する前は東京帝国大学にて英語の講師として教鞭を振るっていたのだが、その際に彼は辞書よりも偉いといわれていた。彼の記憶力がよく、生徒の質問した英単語を即座に答えるといった芸当ができたのも一つの理由といえるが、大きな理由は辞書に乗っている単語よりも自分が答える単語の方が正しいと生徒に言い切ったところにあるだろう。
また「I LOVE YOU」との文章を前にして、「私は貴方を愛している」と直訳せずに、「日本男児ならば『月が綺麗ですね』と訳すものである」と告げたそうだ。
明治、大正、昭和の文豪たちは早世するものが多かった。漱石の弟子である芥川龍之介も最後は睡眠薬(一説には青酸カリ)を飲んで自殺した。
夏目漱石自身も50歳という若さで世を去っているが、彼は病死であった。しかも最後の言葉は自ら寝間着の胸もとを肌蹴させて「ここに水をかけてくれ、死んでは困るから」だったという。
彼ほどの自信と荒ぶる気性を持ち合わせた人間でなければ、動乱の時代を生きる作家であることは難しかったのかもしれない。
(梅季 立風 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou