しかし、こうも考えられなくはないだろうか。研修、座学を受講した程度で高校球児を正しく導くことができるのか、と…。
先頃、横浜高校監督・渡辺元智氏が神奈川県大会決勝戦で指導者人生の幕を閉じた。渡辺氏は春夏甲子園通算51勝を上げた名将だが、歴代3位となるその勝ち星の内訳が興味深い。氏は1967年秋に横浜高校監督に就任しているが、70年代、80年代、90年代、2000年代のそれそれで日本一になっている。
渡辺氏は横浜高校から神奈川大学に進んだが、肩を故障して選手を断念。大学も辞めてしまったが、コーチの打診があり、横浜高校に戻った。しかし、同氏は76年に大学に入り直している(夜間)。73年センバツですでに日本一を経験したのに、である。教員を兼ねたのは「グラウンドだけでは、生徒たちの気持ちを把握しきれない」と思ったからだという。
「他校の年長監督に経験談を聞き、練習方法で自分なりにアレンジし、野球以外の識者とも積極的に話をしていました。野球に生かせるものがあればとの思いからでしょう」(関東圏私立高校指導者)
横浜高校OBに聞いても、『監督・渡辺像』は世代によって違う。40、50代のOBは「怖かった」と話すが、30代や20代後半は「よく話し掛けてくれた」と言い、30代の一部は「寡黙なイメージ」とも語っていた。年代ごとに日本一を経験しているが、世代や生徒たちの性格に合わせ、教え方を変えていたのではないだろうか。そのために、先輩指導者や識者の話を積極的に聞いていたのかもしれない。
野球技術は元プロ野球選手の方が優れているが、高校野球の指導はそれだけでは成り立たない。研修、座学を受けただけで、人間形成や生活指導に携われるのだろうか。高校野球の監督とは着任してからが「始まり」であって、過去の栄光や経歴は通用しない世界とも言えそうだ。
(スポーツライター・美山和也)
○昭和59年 日本学生野球協会は高校教諭の在職が10年を越えれば(実習教員、臨時講師を除く)で元プロのアマ資格復帰の申請を認め、さらに日本高野連の審査を経たうえで高校野球の指導ができる規定を作った。
○平成6年 教諭在職を5年以上に改正。
○平成9年 教諭在職を2年以上に改正。
○平成23年 高校教諭だけでなく、臨時講師の在職期間もカウントできることになった。
○平成24年 高校教諭、同臨時講師だけでなく、特別支援学校や中学校の教諭、臨時講師の在職期間もカウントできるようになった。
○平成25年 教員在職2年間の条件をなくす緩和案が出される。