50の大台に乗る直前にパパデビューするのは、“パパジャニ”史上最高齢。9月21日はTOKIOのデビュー25周年アニバーサリーだったこともあり、喜びは2倍となった。
城島がジャニーズ事務所に入所したのは、15歳。その後の下積みは長く、二十歳を超えてもまだ、少年隊のバックダンサーから卒業できずにいた。歌、バンド、ダンス、俳優にトライした10代のころ、意外な仕事もしていた。
「雑誌のファッションモデルです。入所した翌年、『週刊セブンティーン』(集英社)の87年5月26日号に載っています。カラーグラビアのそれは、『絶対守りたいデートのマナー』という記事。リーダーは、同じく10代の女性モデルと、カップルという設定で登場しています。ジャニーズJr.研修生ということは明かさずに」(スポーツ新聞の芸能記者)
同誌は現在、『Seventeen』に改題されて月刊化。読者対象は変わらず女子中・高生で、専属モデルで女優への足掛かりにする者が少なくない。古くは宮沢りえに始まり、榮倉奈々、桐谷美玲、広瀬アリス&すず姉妹、北川景子、本田翼、武井咲、中条あやみほか。錚々たる主演女優が誕生している。
女子にとってのファッションバイブルに城島は、高校生の時に自薦で応募。ジャニーズというバックボーンはなく、自力で合格した。小顔で、手足・胴体まで細いため、後にメンバーから「無駄に足が長い」と褒められるが、体型は入所時から変わっていない。
「城島さんは、少年隊にあこがれてジャニーズ入りしました。東山紀之さんは今でも神のような存在。そのヒガシさんはストイックで知られ、50歳を過ぎた今なお歌って踊れる体力をキープするための努力を惜しみません。城島さんも20代から体型が変わらず。5年前には、日本テレビの『24時間テレビ』でチャリティーマラソンランナーとして走っています」(前出・芸能記者)
TOKIOリーダーにあった「元モデル」という知られざる肩書き。妻となった菊池は、バングラデシュ人の父を持つハーフにして、Eカップ。産まれてくる子どもは、ナイスバディであることが確定か。
(伊藤由華)