明石家さんまが怪物なら、松本人志は天才。世間では、そんな分別ができている。松本と浜田雅功のダウンタウンは、今年が結成30周年のメモリアル。偶然にも、所属する吉本興業の創業100周年と同じ年である。
ふたりの出会いは、出身地・兵庫県尼崎市の潮小学校。進学先の大成中学校で、そろって放送部に入ったことで急接近した。浜田が、全寮制の高校・日生学園を卒業後、印刷会社への就職が決まっていた松本を勧誘して、吉本が新規オープンした養成学校・NSCに入学。1982年、ダウンタウンが産声をあげた。
20代で、大阪・毎日放送『4時ですよ〜だ』の帯番組を持ち、そのわずか2年後に東京進出。早々と、東京でも冠番組も持った。幼少期はド貧乏だったため、お笑いで天下を取れた暁には、大好きな母をラクにさせてやりたい一心だったが、30歳のときに大願成就。尼崎市に中古マンションを購入し、その5年後には土地を購入。念願の一軒家をプレゼントできた。
浜田が90年に、タレントの小川菜摘と結婚したのに反して、松本は45歳まで独身を貫いた。理由は、尊敬している、いまだ独身の志村けんと似た考え。結婚すると守りに入って、芸がおもろくなくなる−−。
松本の芸とは、万人に伝わるものではなく、理解できない喩えにマジックをかけて、おもしろいと脳にすり込ませる神の域。下ネタも家族ネタも、貧乏も風俗遊びもいとわない。過去には、元アイドルの木内美歩(現事務所社長)、元アイドルの宇田川綾子(現主婦)、女優の常盤貴子、歌手のhiro(元SPEED)、タレントの優香などと噂になったが、妻の座を射止めたのは、元お天気お姉さんでタレントの伊原凛。19歳年下タレントとの“デキ婚”で、ようやく人生の踏んぎりがついた。
ビートたけしを抜いて、お笑い芸人の長者番付でトップに躍りでたのは94年。自著の『遺書』と『松本』がいずれもミリオンセラーになった翌95年には、年収5億円を突破して、芸能人のトップに君臨した。
「孫の顔を見ることはできないかもしれない」。愛娘のてらちゃんをあやしながら、最近痛感していることだ。3作目となった、自身の監督作品映画『さや侍』。そのエンディングでは、子に託す親心を描いている。それは、てらちゃんへのメッセージであり、「レンタル屋で、自分のコーナーを設けられる程度は作らなあかんと思ってる」という映画への創作意欲でもある。目標は、たけし。90年代、年収でデッドヒートを繰り広げたたけしと今度は、映画監督として腕を競いたいようだ。(伊藤由華)