ドイルが執筆した『シャーロック・ホームズ』はこれまでの探偵小説に無かった本格的な科学捜査とリアリティを追求した作品で心霊など非科学的なものとは一見、縁がないように思える。
しかし、ドイルの幽霊への想いは本物で晩年は「己の使命」として心霊現象の証明および心霊主義に命を賭けた。
コナン・ドイルは小説家になる前は医者だったこともあり当初は心霊現象に対し懐疑的な考えを持っていたが、後にイギリスの著名な科学者の間で心霊現象の研究が開始されたことによりドイルも次第に興味を持ちはじめ「降霊会」(幽霊を呼び出すサークル)に参加しはじめる。
もっとも、小説家として売れ始めていた時期はただ単に幽霊という存在に興味があっただけだが、第一次世界大戦(1914〜1918)の存在がドイルの考えを一変させた。第一次世界大戦はドイルの身内が多数亡くなっており、また自身が病気に犯されているため心身的に弱くなっており、幽霊の存在を盲目的に信じてしまったとされる。
明らかに撮影者のミスでボケてしまった写真を「心霊写真だ!」と言い張り、亡くなった作家の霊を呼び出して合作を提案するなど奇抜な行動が知れ渡り、当時の新聞記事では大いにバッシングされた。特に晩節を汚したとされているのが、少女ふたりが妖精を撮影したと言い張った「コティングリー妖精事件」である。ドイルは死ぬまでこのふたりを擁護し続けていたが結果、捏造写真だということがドイルの死後に判明し、ドイルの評判はがた落ちになったとされている。そんなドイルは死ぬ間際、遺書として以下の一文を残している「読者は私がたくさんの冒険をしたとお思いだろう。何より偉大で輝かしい冒険がこれから私を待っています」。これはドイルが新しい世界、つまり心霊の世界へ冒険するという意味であるとされている。コナン・ドイルが信じた心霊世界は100年近くが経過した今も証明こそされていないが、死後の世界で新しい発見があったことを祈りたい。
写真:コナン・ドイルの心霊写真
文:和田大輔 取材:山口敏太郎事務所