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同書は、主に50代以上の人を対象に、背負っていた肩書がなくなった後の人生をどう生きるべきかを、蝶野がアドバイスする内容になっている。蝶野は「書き初めというか、お話をいただいたのが去年。腰の手術を終えて自分自身、先が見えない状態の中で、日々体が痛かったり歩けなかったりの不安の中、少しずつ体調が良くなって来たので、そんな中、自分を奮い立たせるという意味で書きました」と紹介する。
「肩書きというのはある意味、人を押したり押しつぶしたりするものである」と言う蝶野は、「周りにそう人が多くて。今、大手の会社では50歳の区切りを一つの恐怖に感じる人が多いって聞いたんです。役職も外されて、仕事は多いという人が増えている。不安の中生きている人を、プロレスラーという肩書きがあるけどリングから降りた俺の視点から励ます内容になっている」と内容についても説明し、「蝶野さんの今の肩書きは?」と聞かれると、「俺の肩書き? 蝶野だろうね」と嬉しそうに笑顔を見せる。
二日後に還暦を迎えることも明かし、「前は5年くらい腰のアレで表舞台に出るのもきつくて......。そういう中で、自分は60歳は通過点でしかないと思っていた。75歳までやろうと思っていたけど、でも近づいて来るとその年齢を跨がないといけないんだってがっかりする。でも今は怪我の時に比べたら先に進みたいって、そう思えるようになれた」としみじみと述べ、「赤いちゃんちゃんこは今年2回くらい着ています。長州(力)さんと武藤(敬司)さんのテレビ番組でも着させられたり」と照れ臭そうにコメント。「最近は黒の蝶野という感じじゃなく、今日も衣装がグレーになってきちゃって......。60歳超えたら黒の蝶野を復活させたい」とも話した。
「体調は去年より全然いいです」と腰の状態についても明かし、「2、3年前くらいがピーク。年末の『ガキの使いやあらへんで!』の時は立っているのも精一杯だった。移動は車いすという感じで手術に入った。あの頃は寝れなかったね。1日1時間、2時間寝れるかなっていうのが半年くらい続いた」と説明。「今は苦なく、体が動くようになっています。リングはもうね。リングの上は年上同士であろうと非常に危ない場所。そこの一線は跨ぎます」とリングに上がることには消極的だった。
最後に阪神タイガースの優勝について聞かれると、「阪神ね」と苦笑い。「うちは家内がドイツ人。昨日10時のテレ朝の『報道ステーション』で道頓堀の橋に人が集まっているのを見て、家内が『何やってんの?』って。説明に困りました。でも優勝で関西の街が沸き返るというのはいいことだと思う。お祭り騒ぎはガンガンやってほしい。警察も一緒に飛び込むくらいの勢いで」と話して笑顔を見せていた。
(取材・文:名鹿祥史)