監督は1983年、ヤクルトスワローズへのドラフト外で入団。ところがプロ入り2年目の1985年、平衡感覚が狂う三半規管の難病であるメニエール病に苦しむようになり、1990年に現役を引退した。以降は、野球解説者・スポーツキャスターとして活躍する傍ら、母校・東京学芸大学および桐朋学園大学短期大学部の講師を務め、少年野球の普及育成に努めた。2011年11月、北海道日本ハムファイターズの監督に就任し、2016年にはチームを日本一に導いた。2022年4月、学校法人北海学園特任教授に就任。“二刀流”で活躍の場を広げている。
そんな監督の私生活が気になるところだが、れっきとした独身であり、結婚歴はない。とはいえ、ヤクルトの現役時代は“プレイボーイ”として女性人気が高く、後に元大リーガー・イチロー氏と結婚する福島弓子・元TBSアナと結婚寸前で破局した過去がある。
WBCで日本中が歓喜した今年3月、複数のメディアは栗山監督と弓子さんの交際歴を報じた。なかでも『FLASH』(光文社)は、WBCが最高潮の盛り上がりを見せるなか、「ある人物がいない」と指摘。同誌は、2009年大会の決勝で韓国に挑み、延長10回に決勝タイムリーを放ち「ほぼイキかけました」と名言を残したイチロー氏を話題にした。
監督(当時33歳)は、野球解説者時代の1994年ごろにスポーツ番組でTBSアナウンサー時代の弓子さん(当時29歳)と共演し、交際を開始させたという。記事では、2人の交際は順調に続き、監督が弓子さんの実家へ挨拶に行くなど、“ゴールイン直前” としている。
ところが、交際から約1年で2人は破局したようだ。同誌は、「栗山監督の浮気」が原因と報じている。さらに、監督の浮気相手とされたのが、当時プロテニスプレイヤーとして活躍していた伊達公子氏だという。
同サイトは、弓子さんとの破局は1995年と報じ、「栗山監督が『結婚はなかったことにしてほしい』と別れを切り出し、ショックを受けた弓子さんは急激にやつれて話題になった」と伝えている。また、このとき取材を受けた監督は「99%は福島さんのことを考えているが、残り1%は伊達さんを考えている」と発言し、ファンをドン引きさせたとも報じており、監督は世間から猛バッシングを浴びせられたとしている。
「弓子さんと交際していた1995年ごろ、栗山監督は伊達氏とのデートをスッパ抜かれています。当時、伊達氏の所属事務所は交際を否定していましたが、弓子さんは浮気されたあげく、婚約まで破棄され一時期、精神的にかなり追い込まれたようです。そんなボロボロだった弓子さんを救ったのがイチロー氏だったんだとか」(スポーツ関係者)
ラジオ『イチローの気持ちはいつもフルスイング』(TBSラジオ)での共演を機に交際をスタートさせた弓子さんは、約2年を経て1999年1月、イチロー氏からのプロポーズを受け、同年3月にTBSを退職。同年12月、メジャーリーガーとして海を渡ったイチロー氏夫妻は米・ロサンゼルスで挙式を挙げた。一方の栗山監督はこの“三角関係”報道以降、浮いた話題はないとされ、伊達氏との進展もなかったとみられる。
「今となっては、紳士的で野球一筋の栗山監督ですが、“プレイボーイ”として名をはせた現役時代の1989年、東京・東村山市内の実家近くに約5000万円の一軒家を購入したのですが、『住み始めた頃は近くの物陰で、若い女性がよく帰りを待っていました』という近隣住民による監督“モテっぷり”証言を、今年3月にニュースサイト『文春オンライン』がさらしています。同月、ニュースサイト『NEWSポストセブン』は、現役当時は球界屈指のイケメン選手だったと紹介しつつ、あるスポーツ紙のベテラン野球記者が『40歳の頃には“もう女性はいい”というスタンスになった』と振り返っています」(前出・同)
タイミング的に、監督は“婚約破棄騒動”で女性はこりごりと肝に銘じたのかもしれない。騒動から30年近く経つが、イチロー氏と監督の共演はかなっていない。イチロー氏は大会終了後にコメントする形で今回のWBCを振り返っているが、大会期間中に表に出てこなかったのは、監督との過去を蒸し返されないためともいわれている。