そもそも球界でも高卒ルーキーの開幕一軍はまれなケース。ベイスターズでも昨年は三浦大輔監督が長年背負い、“横浜ナンバー”として神格化されていた18番を譲り受けた小園健太が一軍キャンプに抜擢されたが、結局はファームスタートとなり1年間通して一軍に昇格することはなかった。
ベイスターズ、ホエールズを含む平成での開幕一軍キップを手に入れたのはわずか4名。直近では2001年、内川聖一がその座をつかみ、ルーキーイヤーは3試合でノーヒットに終わったが、その後は首位打者を獲得するなど躍動。FA移籍した際の言動は物議を醸したが、昨年引退するまで長く活躍した。
その前年も田中一徳が一軍抜てき。PL学園高時代は甲子園で松坂大輔から打ちまくり、ドラフト1位で入団した俊足外野手だったが、5年間でプロの世界を去った。
横浜大洋ホエールズ時代の1989年には、ドラフト1位キャッチャー・谷繁元信と、ドラフト外からはい上がった石井忠徳(琢朗)の2名が一軍入り。谷繁は89試合ものゲームに出場し、その後は言わずと知れた大キャッチャーとして球界に君臨。ドラゴンズではプレイングマネージャーとして活躍した。石井は1年目に17試合登板を果たし初勝利もマークしたが、その後は名前も琢朗に変更し打者転向を断行。すると三拍子そろった内野手として気の長い選手生活を送り、現在はバッティングコーチとしてベイ戦士に熱血指導を行っている。
また谷繁、石井、内川の3人は2000本安打をクリアし、名球会にも名を連ねるレジェンドにまで上り詰めた。
「開幕一軍に向けてキャンプでしっかりアピールしていきたいなと思います」と意気込んで挑んだ春季キャンプも第2クールまで進んだ。守備面ではエース級のボールを受け、バッティングでもフォロースルーの大きな豪快なスイングで快音を残している。高卒、なおかつ捕手の開幕一軍は至難の業だが、公言通り目標を達成し、ゆくゆくは大先輩たちに肩を並べる活躍を見せられるのか。1年目から注目度大だ。
取材・文・写真 / 萩原孝弘