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明治25年(1892)、岩﨑彌之助氏(三菱第二代社長)によって創設され、息子の岩﨑小彌太氏(三菱第四代社長)によって拡充された父子二代によるコレクションをもつ同美術館。和漢の古典籍約20万冊と、東洋の古美術品約6500件を所蔵し、そのうちに国宝7件、重要文化財84件を含んでいる。
1892年彌之助氏の神田駿河台邸における文庫創設以来、1911年に高輪、そして1924年に現在の世田谷へ拠点を移し、1977年より所蔵する美術品などの一般公開を行ってきた。2021年6月に世田谷での展示を終え、移転準備期間を経ての今回の開館となる。
今回の展示会では、岩﨑家父子蒐集コレクションを4つの章で展示、国宝《曜変天目(稲葉天目)》など所蔵する7件の国宝すべてが、前期(~11月6日)・後期(11月10日~12月18日)に分けて公開される。
今回前後期通して公開される、同館の象徴ともいえる国宝《曜変天目》は、南宋時代(12~13世紀)の制作。「天目」は宋代の喫茶法・点茶法のために作られた喫茶専用の碗を指す日本での名称だ。《曜変天目》は、黒釉の掛かった碗の内面に浮かぶ大小の斑紋の周囲に、青色や虹色に輝く光彩が現れたものをいう。完全な形のものは日本に現存する3点のみ。本碗は光彩が鮮やかで、端正な姿や精緻な高台削りなど緊張感がみなぎっている。江戸幕府3代将軍徳川家光から乳母の春日局に下賜されたものといわれ、その後淀藩主稲葉家に伝わったため「稲葉天目」と呼ばれている。
同じく前後期通して公開される国宝《太刀 銘 包永》は、鎌倉時代(13世紀)の制作。作者の初代包永は大和の刀工一派・手掻派の祖で、奈良東大寺の転害門前に住み、正応年間(1288~1293)頃に活躍した。腰反り高く優美な姿が特徴的で、刃中は変化に富む同太刀。茎(柄に収められるグリップ部分)先には「包永」の二字銘も刻まれている。
他にも国宝《倭漢朗詠抄 太田切》が前後期通しで、俵屋宗達の国宝《源氏物語関屋澪標図屏風》が前期で公開されるなど、見どころ満載。歴史的建物の中で輝きを放つ名品たちを一度に鑑賞できるチャンスだ。
※画像は全て「響きあう名宝―曜変・琳派のかがやき-」報道内覧会にて撮影