寺島は、人間国宝で七代目・尾上菊五郎と女優・富司純子の長女で、五代目・尾上菊之助を弟に持つ。2000年、公開映画『シベリア超特急2』での映画デビュー以降は、実力派女優として頭角を現し、数々の名だたる賞を受賞。私生活では2007年2月、アートディレクター、ローラン・グナシア氏と国際結婚、2012年9月に長男で俳優・寺嶋眞秀を出産した。
>>佐藤江梨子、海老蔵と破局で“泣きっ面”投稿 屈辱的な別れの理由とは【芸能界、別れた二人の真相】<<
2007年3月、都内で開いた結婚会見で寺島は、夫との出会いについて「私の一目ぼれ」と明かし、「ありとあらゆる手を使ってアタックしました」とノロケを見せた。そんな寺島だが、独身時代の2003年1月、“失意のどん底”を経験している。
「当時24歳の寺島は、同じ家柄で幼なじみだった歌舞伎俳優・市川染五郎(当時24歳、現:松本幸四郎)と1997年頃から真剣交際に発展したといいます。しかし、市川は1997年7月に隠し子が発覚。これを受け、同月に大阪で会見を開いた市川は『6年前に誕生した私の子どもです』と公表し、『(子どもの母親と)真剣に付き合っていたので認知した』とも言及しました。寺島はこのことを了承したのか、2人は困難を乗り越え、やがて“結婚秒読み”とまで報じられたのです」(芸能ライター)
ところが2003年1月、市川は都内で記者会見を開き、資産家令嬢との婚約を発表。なんと、市川の隣には妻となる女性が並び、そろってインタビューに応じたのだ。
「寺島と破局報道がなかったことから市川の会見は世間を騒然とさせました。このとき、寺島は“寝耳に水”だったといいます。会見を受けた寺島は、ショックのあまり周囲は『自殺してしまうのではないか』というほど憔悴しきっていたそうです」(芸能関係者)
同年5月、当時30歳の寺島は『婦人公論』(中央公論新社)で市川(当時30歳)に対する決別の思いを初告白した。同誌で寺島は、市川の実名こそは出していないが「30歳になったら、その人と結婚すると決めていました」と打ち明け、「その思いが裏切られたというか…。結婚してもいいけど、私には違うことを言っていたから…」と、あいまいな表現ながらも苦しい胸の内を語った。そのうえで、「今はもう彼のことは抹消して、リセットした」と恨み節を交え、“絶縁宣言”を放った。
同年11月、市川は都内のホテルで盛大な結婚披露宴を開催。その席に、業界の大御所である寺島の両親の姿はなかった。そして、寺島はまるで披露宴のタイミングに合わせたかのように自伝エッセイ『体内時計』(同年12月発売、主婦と生活社)を出版。このときも相手の名前は出していないが、失恋の経験が記してある。
市川の裏切りからおよそ4年後の2007年2月、寺島は結婚。2013年2月、菊之助の挙式が都内神社で執り行われた際に、同月発売の『女性セブン』(小学館)では、市川の“二股騒動”を蒸し返し「娘(寺島)を捨てた染五郎の仕打ちに激怒したのが父・菊五郎だった」と当時の“ドロ沼”劇を報じた。
記事では、菊五郎が当時、「よくも娘をもてあそんだな」と松本家に乗り込もうとしたところ、富司が「あんな男(市川)、別の女性と結婚してくれてよかったのよ」と制止したと伝えている。
また、市川の披露宴に欠席した菊五郎夫妻だが、同誌は「大御所である音羽屋の人間が歌舞伎役者の披露宴を欠席することは極めて異例」と報じており、このことから両家の亀裂の深さがうかがえたという。
5月30日、俳優・坂口健太郎と杏がW主演する7月スタートの月9ドラマ『競争の番人』(フジテレビ系)に、寺島がレギュラーキャストとして出演することが決定。それに加えて眞秀の活躍も著しく、公私ともに充実しているようで何よりだ。