>>片瀬那奈、ゾッコンのあまり溝端淳平と半同棲するもフラれたワケは【芸能界、別れた二人の真相】<<
堤は、高校卒業後に故・千葉真一さん主宰の「ジャパンアクションクラブ(JAC)」に入団。4年ほどの在籍のうち、俳優・真田広之の付き人も務めた。1986年、真田主演の『犬死にせしもの』で映画デビュー。地道な下積み生活を続け、1996年放送のドラマ『ピュア』(フジテレビ系)での好演が転機となり人気俳優の地位を確立した。私生活では、2013年3月に16歳年下の一般女性との結婚を発表し、同年10月に長女、続けて次女が誕生。49歳にして父となった。
かつては、“共演者キラー”として名をはせた堤。とりわけ、女優の鈴木京香とは結婚目前ともいわれていた。
1999年7月、堤は鈴木の自宅マンションでの「合い鍵週末婚」を『女性セブン』(小学館)に報じられた。2人は同年公開の映画『39 刑法第三十九条』での共演がきっかけで交際に至ったという。この報道直後、2人はすぐに半同棲生活に発展し、一緒に買い物をしたり犬の散歩をしたり仲睦まじい姿がたびたび目撃されていたと、2015年12月の堤の舞台を鈴木が観劇した際に同誌が報じている。
2000年12月には、2人でフランス・パリへ旅行。翌年1月、帰国の際には集まった報道陣の前を堂々と“ツーショット”で歩き、結婚は秒読みかとささやかれた。
ところが、2001年の夏頃に2人は破局。同誌は当時、堤が共演女優と色恋沙汰になることも多く、すれ違いが深まっていったことから堤の“浮気”が原因ではないかと報じた。
2人は破局から10年以上が経った2012年5月、朗読『宮沢賢治が伝えること』(世田谷パブリックシアター)で共演を果たした。昼夜2回公演の前売り券は即日完売という注目ぶりだったというが、同年6月発売の『女性自身』(光文社)では、堤が緊張のあまりに手が震えている一方で、鈴木はふっ切れたように朗読に集中していたと報じ、後腐れのなさがうかがえた。
同記事では、破局理由を堤の“浮気”だと指摘。鈴木は堤が隠れて共演女優と“東京ディズニーランドデート”をしていたことに強く失望し、これが破局の決定打になったと報じている。
その後、鈴木の恋愛遍歴を特集した2019年1月配信の一部ネットニュースでは、鈴木の家族が堤との交際に猛反対したことが破局の最大の要因とも報じられた。記事によると、一家の大黒柱だった鈴木を失うことに鈴木の母が難色を示していたという。
堤は2013年3月に結婚。同月配信のニュースサイト『東スポWeb』では、堤が結婚会見を行わなかった理由として、「堤といえばふた言目には『京香』の名前が出てきてしまうので、会見とかやったときに、昔のことを聞かれるのを嫌がってる」と関係者の証言を掲載。さらに、堤が「まだ結婚したくない」との理由で鈴木と別れていたと報じている。
鈴木も俳優・長谷川博己との交際でたびたび話題となっている。双方別のパートナーと生活を送っている今でも、2人の破局についてさまざまな憶測が飛び交っているようだ。