V6は年長のアダルトチームを20th Century、弟グループをComing Centuryと分け、グループ内ユニットでも数多く活動した。最年長は50歳になったリーダーの坂本昌行。だが、キャリア最長は2歳年下の長野博だ。
>>また中居正広に“新しい地図”合流話が浮上 現在のレギュラーは捨て、個人事務所も締める?<<
この数年はグループとしての稼働より、プロ同然の知識と場数を踏む“料理博士”としての仕事が目立つ長野。ジャニーズ事務所に入所したのは、1986年と古い。同期には、元光GENJIの佐藤アツヒロと元SMAP中居正広、TOKIOの城島茂がいる。解散、減員と無縁で来たV6の息の長さが、尋常ではないことが窺い知れる。
長野と中居には妙な縁がある。長野は13歳で入所。翌年、故・ジャニー喜多川元社長から「YOU、スケボーできる?」と突然電話がかかってきた。「できない」と答えると、およそ3分後に再びコールがあった。「だから、できないって」と怒気を含めて応答すると、連絡が途絶えた。後に、光GENJIのバックダンサーで、スケートボードができるジャニーズJr.の新ユニット「スケートボーイズ」(のちのSMAP)が誕生。中居が加入していた。
ところが、その中居もやがて違う理由で自らチャンスを蹴っている。アイドル雑誌のフリーライターが言う。
「入所した翌87年、後楽園球場の近くにあったローラースケート場(現・東京ドームローラースケートアリーナ)で週に1度、Jr.たちがローラースケートの練習をしていました。最初は中居少年もマジメに通っていたのですが、サボり癖がついてしまい、練習を辞めました。ジャニーさんから『YOU、ローラースケートできる?』と聞かれましたが、無視。数か月後、ローラースケートができる新ユニットの光GENJIが結成・デビューしました」
光GENJIには、中居の地元・神奈川県藤沢市の中学校時代の1年後輩だった佐藤が加入。瞬く間にトップアイドルとなり、社会現象と言われる人気を博した。
光GENJIは95年、SMAPは16年、V6は21年に解散。48歳になった佐藤はすでに、活動の場を舞台に移している。49歳の中居は昨年3月に退所して、変わらずテレビの世界で勝負。48歳の長野はこの2人と異なり、妻で女優の白石美帆との間にもうけた一男一女を育てるパパドルだ。
光GENJIによって爆発的な人気になったローラースケートは、Kis-My-Ft2やJr.のユニット「HiHi Jets」が継承している。スケボーとローラー、昭和、平成、令和。この全てにヒットする長野は、ジャニーズのリビングレジェンドと言えるだろう。
(伊藤由華)