宮沢は、1987年のCM『三井のリハウス』の初代リハウスガールを務めて脚光を浴び、一世を風靡。89年発売の『ふんどしカレンダー』やヘアヌード写真集で世間を騒然とさせ、“恋多き女”としてもメディアをにぎわせてきた。
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1993年1月、当時の関脇・貴花田(花田光司氏)との婚約破棄を皮切りに、94年9月の故・中村勘三郎さん(当時・勘九郎)との不倫疑惑の末の自殺未遂騒動などが思い起こされる。一時期は拒食症の噂が出て芸能活動を休止していたが、復帰後には名だたる著名人らと浮名を流しまくり、09年4月にハワイ在住の日本人実業家と“できちゃった婚”を発表。同年5月に女児を出産し、ようやく落ち着いたかのように見えた。
ところが2012年5月、夫妻は離婚協議中であると『週刊新潮』(新潮社)が報じ、16年3月に離婚が成立するまで、宮沢は奔放な私生活を繰り広げた。2013年8月、『FRIDAY』(講談社)が“手つなぎデート”現場を激写した俳優・古田新太との一件は、離婚の長期化に影響したともいわれた。
「2人は同年7月の舞台『盲導犬』で共演。リハーサルに入った直後の飲み会で『FRIDAY』に撮られ、不倫疑惑が浮上したのです。舞台の公開前記者会見に古田と宮沢、小出恵介と演出の故・蜷川幸雄氏が出席し、古田は宮沢を"日本最後のアングラ女優"と称えたのです。すると、宮沢は『蜷川さんを驚かせるにはどうすれば良いか、古田さんに相談してる』と仲睦まじい様子をうかがわせていました」(芸能ライター)
劇中では、宮沢がパンティーを足首まで脱いで古田を誘う官能シーンに古田が宮沢に馬乗りになるシーンもあり、観客の目をくぎ付けにした。話題性は高く、宮沢の女優魂が絶賛された一方で、古田は宮沢にロックオンされてしまったという。一部ネットニュースでは、古田が小出をダシに使い、宮沢を飲みに誘って口説いていたと報じられている。2人は“酒豪”でも知られているが、ついはめを外してしまったのだろう。
古田は、2011年にも同誌にプロスケーター・安藤美姫似の美女との路上キス現場をスッパ抜かれているが、元タレントの女性を妻に持つ父親だ。だが、一部ネットニュースによると古田は自他共に認めるオンナと風俗好きなうえ、共演する女性たちを口説きまくる性分だと報じられている。
「双方からのコメントもなく、結局は疑惑のままで流れました。かと思いきや13年10月、今度は同舞台で共演した12歳年下の俳優の小久保寿人を宮沢が自宅に泊めたところを週刊誌にスッパ抜かれ、宮沢がFAXで反論。自宅にはマネージャーらもいたと“不倫”を否定しましたが、古田や小久保にせよ、長引いた離婚協議の腹いせではとささやかれました」(芸能関係者)
2016年3月、宮沢の離婚が成立。荒れた人妻時代に終わりを告げたが、“肉食”のイメージを世間に植え付けてしまった。そして、18年3月にV6の森田剛と再婚に至った。
今年11月には、森田がジャニーズ事務所を退所する。独立する森田への“内助の功”が注目される。