訃報を受けて、栗山英樹監督は「大記録を残され、長きにわたって野球界を背負われた大先輩であり、今はただ感謝しかありません。またファイターズが苦しかった時期を監督、選手として支えていただきました。もっと、もっと野球に関わっていきたかったはずでしょうし、悔しかったと思います。心残りは2023年に完成する新球場を見ていただきたかったこと。私たちにできるのはこれからも懸命に戦って、大島さんに喜んでもらえるファイターズを作っていくことです。ご生前のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します」とコメント。
同じく、日本ハムや中日に在籍した小笠原道大ヘッドコーチ兼打撃コーチは「非常にショックで、言葉がありません。監督を辞められてからも親身になって気にかけていただきました。状態が悪い時には心配して連絡をいただいてアドバイスをもらい、いつも助けてもらっていました。引退後もプライベートで交流がありましたし、私にとって大きな存在でした。心よりご冥福をお祈りいたします」とショックを隠せない。
大島チルドレンでもある田中賢介スペシャルアドバイザーは「大島監督の1年目が私の1年目で、ドラフトで自分のくじを引き当ててくれたのが監督として最初の仕事だったと思います。ファイターズに導いてくださった方で、同じ九州出身という縁もあってか早い段階から起用してくれましたし、それもあって長くプロの世界でプレーできたと感謝しています。入団から3年間お世話になり、打撃指導を受けても当時は仰ることがよく飲み込めなかったのですが、解説者としていらした時にはいつもケージの後ろからアドバイスをくださり、ベテランと言われる年齢になってからは指導されることが少なくなっていましたので、一言ひと言に有難みを感じていました。東京ドームでの私の引退セレモニーにはサプライズで花束贈呈にいらしてくださり、体調が思わしくないとお聞きしていた中でしたので思わず涙がこぼれました。お会いするたびに冗談めかして「バカヤロウ」と愛のこもった言葉をかけていただいたこと、この先も忘れることはありません。どうか安らかにお休みください」と大島氏との思い出を語っていた。
(どら増田 / 写真・及川恒平)