同番組では、1993年のソロデビュー後、封印していた「ギザギザハートの子守唄」や「涙のリクエスト」といったチェッカーズ時代の曲を披露。放送後の反響が大きく、視聴者のリクエストに応える形での再放送になったという。
藤井は、昨年11月から行っている全国ツアーでも、全演奏曲の半分をチェッカーズ・ナンバーが占めるセットリストで、往年のファンを熱狂させていた。
それにしても、長年にわたって封印していたチェッカーズの楽曲をようやく解禁することになったが、その背景にはある事情があったようだ。
「『ギザギザ』や『涙の』を作曲したのは、中森明菜の『少女A』、岩崎良美の『タッチ』など数々の名曲を生み出した作曲家・芹澤廣明氏。それらの曲を、権利を持っているレコード会社が勝手にカバーしようとして、自分だけが歌いビジネスにすることを良しとせず、封印していたフミヤがヘソを曲げてしまった。しかし、フミヤから芹澤氏にコンタクトを取って義理を果たし、芹澤氏からもどんどん歌うように言われ、ようやく解禁に踏み切ったようだ」(音楽業界関係者)
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1992年に解散したチェッカーズ。以後、再集結や活動再開はなく、ファンはそれを切望していた。
ところが、2003年に発売された元メンバーの高杢禎彦の著書「チェッカーズ」(新潮社)の内容をめぐってメンバー間の確執が勃発。
04年8月に元メンバーの徳永善也さんが死去。都内で行われたお別れ会で、フミヤと尚之の藤井兄弟とほかの元メンバー2人が発起人になったが、徳永さんと交流が途絶えていた高杢と鶴久は参列しか許可されず、以来4対2に分かれたまま没交渉なのだ。
「4人の〝フミヤ派〟だけでもファンにとってはチェッカーズとして認めてくれるはず。いろいろ事情があったかもしれないが、高杢と鶴久の“裏切り”を許していないファンも多いはず」(芸能記者)
どんな形であれ、ファンたちの願いをかなえてほしいものだ。