>>バナナマン設楽、東京03との“流血事件”を語る「もうドバドバ出ちゃって」当時の目撃者も懐かしむ<<
これは、25日深夜放送された『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』(ニッポン放送)での発言だ。東京03は、角田晃広が加入する2003年より前、1995年頃から豊本明長と飯塚のコンビ・アルファルファを結成。ネタ番組『爆笑オンエアバトル』(NHK)などでも一定の成績を残していた優秀なコンビだった。
しかし、その頃(90年代中盤~後半)の飯塚は、今のように好感度が高く、優しい笑顔を振りまくパブリックイメージとはほど遠かった。オークラ氏曰く「とにかくクソ人間だった。ヒモだったし、腐っていた」と語る。オークラ氏は元芸人。飯塚も所属している芸能プロダクション・人力舎に入った頃、先輩である彼に話しかけると、「てめぇ話しかけてくんな」と言われるほど尖りきっていたのだ。
「当時、人力舎は、アンジャッシュやアンタッチャブルなど、個性の強い芸人が頭角を現し始めたころ。アルファルファは客前では受けるネタを作れるものの、もう一歩が踏み出せず、一線には入ることができなかったそうです。オークラ氏は、そういったフラストレーションがあったのでは、と語っていましたね。」(芸能ライター)
その後、人力舎におぎやはぎが所属。おぎやはぎは、それまで殺伐としていた人力舎の芸人の潤滑油となり、今に繋がる空気感を作っていく。そんな中、矢作兼が「飯塚さんってツッコミうめーよな」と言い始めた。当時、尖り腐っていた飯塚を毛嫌いしていたオークラ氏だったが、よくよく見ると、確かにツッコミがうまい。そこで、当時、数多くのユニットコントライブを手がけていたオークラ氏は、おぎやはぎと飯塚のユニットコントを制作(2000年頃)。そこで飯塚がハネ始めたという。それから飯塚自身がユニットを楽しみ始め、彼の角も取れ始めたのだとか。
「角は取れ始めたものの、まだだらしなさは残っていたそうです。今では、単独ライブになると数か月前からファミレスにこもってネタを作るほどの彼ですが、当時、ユニットコントのネタを芸人たちと持ち寄ることになっていたものの、飯塚だけ持って来なかったことがありました。そこで後輩のオークラ氏が激怒。酒を飲むたびに説教をしていたそうですよ」(同上)
紆余曲折があり、東京03を結成。飯塚は、グループのリーダーとしての自覚が芽生え始め、今の彼のスタンスが徐々に形成された。それからの東京03は大躍進。今や単独ライブで3万人を動員するグループへと成長したのだ。こうした実力も相まって“人の良さ”が今の好感度に繋がっていると言える。
もちろん飯塚の決断力もあるが、オークラ氏や矢作の一言がなければ、今の東京03の活躍はなかったかもしれない。