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将門の首塚、大手町再開発で改修工事へ たたりは大丈夫なのか?

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 現在、東京・大手町で再開発が行われている。都心のビル街の中心部である大手町で異彩を放つスポットが、有名な平将門の首塚だ。一区画だけ緑が残され、周辺は公園のように整備され年代を感じさせる石塔、石碑が建っている場所であった。再開発に入ると周囲の工事の影響が及ばないよう、将門塚の石塔の周囲は特別なケースで覆われ、窓越しに確認する形になっていた。

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 そして土曜日の21日、ついに大手町再開発の最終段階として、将門塚の敷地の改修工事が行われることとなった。将門塚の敷地は工事の鋼板で囲われ、一部に祭壇がまつられており工事期間中はここに参ることとなる。Twitterでは改修工事の様子を報告する人や、「手を出して大丈夫なのか」と危惧するツイートが多く寄せられていた。

 多くの人が気にしているのはやはり「将門塚のたたり」だ。みだりに触れたり傷をつけるなどの不敬な行いをすると災難がふりかかるとされている。有名なところでは関東大震災の後の再開発復興工事で、大蔵省の仮庁舎を建設しようとしたところ、工事関係者らにけが人が続出。仮庁舎ができてからも2年の間に当時の大蔵大臣・早速整爾を筆頭に官僚ら14人が死亡、他にも病人やけが人が多数出ることになったため大蔵省内で「将門のたたりではないか」と噂になり、昭和2年に鎮魂碑が建立されることとなった。

 なお、昭和156月には大手町官庁街で大規模な火災が発生し、大蔵省庁舎は焼失することとなる。また、第二次世界大戦後の戦後復興都市計画でGHQが区画整理の際に撤去しようとしたところ、不審な事故で作業員にけが人が続出したため、将門塚はそのまま残されることとなった。これらの話が有名な「将門塚のたたり」だろう。将門塚の周囲のビルでは、不敬にならないよう塚の方向に背や尻を向けないように机や椅子を配置している、とも言われているほどだ。

 しかし、本当に将門塚のたたりは存在するのだろうか。史跡将門塚保存会のサイトによれば、1961年に第1次整備工事が行われてから今回で6次目の改修工事となるとのこと。周辺環境の変化に伴い、時代の節目でたびたび改修や整地が行われていたので、心配することはなさそうだ。

 また、前述の大蔵省にふりかかった将門塚のたたりについても、大蔵大臣の早速が亡くなったのは塚の工事が行われた数年後のことだった。大蔵省が焼失した火災は雷によるもので、近所の航空局に落ちて発生した火災の類焼によるものだったという。また、戦後の復興工事では地元の人が粘り強く陳情を行った結果、将門塚が残されることになった経緯がある。様々な偶然と地域の人々の畏敬の念によって伝えられてきたのは間違いないだろう。

 なお、将門塚の工事は令和34月末に終了予定とのことだ。

(山口敏太郎)

参考URL
https://masakado-zuka.jp/2020/11/12/%E5%B0%86%E9%96%80%E5%A1%9A%E3%80%80%E6%94%B9%E4%BF%AE%E5%B7%A5%E4%BA%8B%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/

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