>>めった刺しの上にバラバラ遺体として見つかった中国人社長、日本人妻に語った最後の言葉がカギか【未解決事件ファイル】<<
事の発端は、遺体発見2日前の3月17日。当時12歳の女子Bさんが突然姿を消してしまう。職員らは懸命な捜索を行ったが、3月19日には当時12歳の男子Cさんも行方不明となった。同日午後9時30分、施設内の捜索を終えた職員達はトイレ浄化槽の中も確認することにした。すると、浄化槽の中には水に浮いているBさんとCさんの姿があったという。すぐに職員は警察に通報したが、警察官が駆け付けた時には既に二人は息を引き取っていたという。司法解剖の結果、二人の死因は水死であることが判明した。遺体発見時、浄化槽の蓋が閉まっていた事から、事件と担当する兵庫県警は殺人事件と断定し、捜査本部を設置した。
警察は同施設の全職員に対して任意出頭を求め、園児に対しても一人一人から事情聴取を開始。しかし、捜査開始早々から警察は大きな過ちを犯したことを当時の新聞社が報道している。まず1つ目は「知的障がいを持つ子供が犯行をするわけがない」として、園児が事件に関与した可能性を最初から排除。そして、外部からの侵入の形跡がないとして、遺体発見から2日後には「内部犯行説」を採ったというのだ。
施設内には取調室が設置され、職員や園児に対する事情聴取は連日深夜まで続けられた。事件とは関係ないプライバシーに立ち入った取り調べや、警察による「職場の誰かが犯人だ」という誘導が行われ、結果的に職員や園児家族の疑心暗鬼が広がった。結果、事件から2週間後には一切の証拠が見つかっていない保育士Aさんが逮捕されてしまう。逮捕の決め手は同僚らによる「Aさんが怪しい」という証言と、一人の園児による嘘の証言によってであった。同僚らがAさんを疑った理由は「園児にせっかんを繰り返していた」「悪いことをしたら浄化槽に落とす」「被害者を連れ出すのを見た」など。しかし、Aさんはその全てを否定している。
Aさんは犯行を否認したものの、警察による執拗な取り調べは勾留期限一杯まで続けられた。結果的に証拠不十分としてAさんは釈放されたものの、次は被害者男児の遺族が検察審査会に不服申し立てを申請。検察審査会は「不起訴不当」の議決を出し、警察は捜査を再開した。そして、警察は「園児を連れ出すのを見た」という園児の証言を得たとして、1978年にAさんを再逮捕し送検、Aさんは殺人罪で起訴された。しかし、その園児は後に証言を一変。「Bさんと他の園児数名で浄化槽の近くで遊んでいた際、皆で蓋を開けた。その後、Bさんの手を引っ張ったら浄化槽の中にBさんが落ちてしまったが、そのまま蓋を閉めた。その時、Aさんはいなかった」と話した。
裁判は検察が不服で最高裁まで続けられたが、一貫してAさんに無罪判決が下った。公判では検察側が「他の園児の関与もあり得る」と2名の園児の名前を挙げたが、結局責任の所在は有耶無耶になったままだ。Aさんの疑いは晴れたものの、2020年現在も事件の謎は判明していない。