>>「腹立つ!!」 “脱いだ人”呼ばわりされた倖田來未が大塚愛の歌唱姿に感情モロ出し?<共演NG?【犬猿の仲】の有名人><<
Zeebraというと、日本のヒップホップシーンの草分け的存在として知られるが、名門・慶応幼稚舎出身で、小2までテストは100点しかとったことがないという秀才。少年時代には、米国へのテニス留学経験があり、その際に習得した英語を生かしてヒップホップの活動に重要な影響を与えた。
1993年にヒップホップグループ・キングキドラを結成したZeebraは、99年発売のDragon Ash(以下:DA)のシングル「Grateful Days」で降谷建志と共演を果たし、大ヒットを放った。DAはヒップホップ、パンク、ラテンミュージックなど様々な音楽を融合させた「ミクスチャーロックバンド」として日本の音楽シーンに革命をもたらした存在だ。同曲中でZeebraが披露した、「俺は東京生まれヒップホップ育ち」というフレーズは今なお語り継がれている。
そんなカリスマ的存在の両者だが、音楽界では“犬猿の仲”として知られている。Zeebraは、2008年に自著『ZEEBRA自伝 HIP HOP LOVE』を発売し、降谷についても言及。同曲と同時発売された『I LOVE HIPHOP』を聴いたZeebraは降谷に不信感を抱き、「オレの曲と共通する部分がかなりあった」と記している。
DAが2000年に発売した『Summer Tribe』が決定打となった。降谷のラップが自身のラップスタイルを模倣し、リリックの内容も自身のソロデビューシングル『真っ昼間』(98年発売)をほうふつとさせたという。
これがZeebraの導火線に火をつけ、キングキドラの『公開処刑』(2002年発売)にて「覚悟決めるのはオマエだkj(降谷)」と名指しで痛烈に批判。あげく、「おめえのグレートフルデイズも今日まで」とかつてのヒット曲を引き合いに出しては降谷をディスった。Zeebraは、「ライオンが自分の子を谷底に突き落とす、みたいな感覚」で「いい加減気づけよ」という思いを込めてこの曲を発売したと同著で触れ、この件以降、両者の音楽的な共演は見られていない。
降谷は「公開処刑」後の2003年、『ROCKIN'ON JAPAN(ロッキング・オン)』5月号の対談で「初めてあの曲の噂を聞いてから毎日考えてる。考えなかった日は一日もない。多分俺はずーっと引きずったまま生きてくんだと思う」と、当時を回顧。一方で、「HIPHOPでは許されるんだと思いますよ。人を中傷したりとか。競い合うという流れが凄く強いカルチャーだと思う」と持論を述べ、「しっかりあのアルバムは評価受けてるし。言われた本人はそれは嫌ですけど、耐え難いですけど。買う人がいるという事は評価を受けてるって事」と、「公開処刑」を評している。
以降、DAの曲からZeebraの模倣はなくなり、Zeebraもその後のDAを認めているようだが、両者が和解したという情報はいまだにない。
ところが、5月に放送された音楽特番『STAY HOME, STAY STRONG~音楽で日本を元気に!~』(フジテレビ系)に両者が出演し、話題を集めた。とはいっても、「Grateful Days」で共演したわけでなく、それぞれ別のパフォーマンスを披露。あくまでも、番組に名を連ねただけで直接的な絡みはなかった。
「公開処刑」の発表から間もなく20年が経過する。今はカリスマ同士の共演をただ願うばかりだ。