2011年10月、突然KEIKOを襲ったくも膜下出血は、命に別条はなかったものの、重い後遺症が残った。会見で小室氏はKEIKOを「小学4年生」と表現し、辛い闘病生活を口にした。想像を絶する看病から、結果的には“癒し”を求めてしまったようだが、小室氏のような境遇の人間は少なくはない。
2017年4月、『週刊新潮』(新潮社)などによる報道を受けて経済産業政務官を辞任した中川俊直元衆院議員も、衝撃の“妻が闘病中の不倫”を報じられた。
中川氏というと、日本大学文理学部社会学科を卒業後、テレビ東京に入社し、スポーツ局を経て報道局に配属。以降は政治記者となり、総理官邸・自民党・野党キャップの取材を担当していた。2001年、同社を退社後は、父で元衆議院議員・秀直氏の公設・私設秘書を13年間務め、12年の衆議院議員総選挙に出馬し、初当選を果たした。
そんな中川氏だが、2013年に米・ハワイで元愛人との間で結婚証明書にサインし、「重婚ウェディング」を挙げたという。さらに、17年3月には、中川氏が自民党の女性国会議員と“密会”していたと『FRIDAY』(講談社)が報じた。
この報道を受けた中川氏は、翌日、自民党に離党届を提出。すると、『直撃LIVEグッディ!』(フジテレビ系)が、中川氏の自宅へ直撃取材の様子を放映したのだ。取材は離党届を提出する前日夜のことだった。
対応した中川氏の妻・悦子さんは取材陣を自宅に招き入れ、帽子・マスク姿で自宅の玄関に正座し、「本当にこのたびは主人によって大変ご迷惑をおかけしたことを、主人ともども私もおわびします」と、テレビカメラを前に土下座をしたのだ。さらに、「主人がしてしまったことに対しては連帯責任と言ったらおかしいですけれど、少なくとも私が主人の仕事の手伝いをさせていただいていることもありますので、私にできるのは本当におわびすることだけなので」と続けた。
このとき、悦子さんはがんで闘病生活を送っていた。そんな病床の妻に責任を押し付け中川氏は不倫報道後、公の場に姿を現すことはなく、フェイスブックで釈明しただけだったという。また、離党届提出も代理人によるものだったことが報じられ、中川氏の不誠実さに対してネット上では「(妻が)気の毒すぎる」という声が上がり世間から大いに非難された。
「がん闘病の妻が、テレビカメラの前で夫の不始末を謝罪する光景は見ていても痛々しかったです。案の定、放映したフジテレビには批判が殺到したといいます。また、警察から“ストーカー登録”されていたことが『週刊新潮』で暴かれ、秘書時代には“集団レイプ”まがいの行為で事件になりそうになったのですが、“政治の力”でもみ消したという疑惑が同年5月、『フライデー』に掘り起こされていました。悦子さんにとって、中川氏の女性関係に関してはさぞ苦労が絶えないようです」(政治関係者)
いかなる理由があっても、不倫は禁物。ましてや不倫にかまけて病床の妻を放っておくこと自体、許されぬ行為である。