髭男爵の山田ルイ53世は「ルネッサーンス」のギャグのおかげで、企業パーティーなどお祝い事へ呼んでもらえることが多い。さらに、最近では相方のひぐち君がワインエキスパートの資格を取得し、「ワインで乾杯」関係の営業も増えている。稼ぎ時は、年末年始の忘年会、新年会シーズンとともに、送別会や歓迎会が集中する3月から4月であったが、その仕事がすべて飛んでしまったようだ。パーティー会場は、大勢の人間が集まり、さらにガヤガヤとして会話も交わされる。「3密」にぴったりと当てはまってしまうため、中止は致し方ないと言えるだろう。
ヘルメットを被った道路工事の労働者スタイルでおなじみのWAHAHA本舗内セクション、WAHAHA商店所属のガッポリ建設も、芸人としての知名度に比して春は稼ぎ時であった。彼らは花見会場を回り、飛び込みで芸を披露して投げ銭を集めるゲリラ営業で稼いでいた。さらに、自ら車を運転し、桜前線の北上を追うように各地を回り、「ガッポリ」稼いでいたようだ。コロナによる花見の自粛によって、今年は稼げなかったかもしれない。
その他、無数の若手芸人にとっても春は稼ぎ時だった。特に高校の予餞会(3年生を送る会)の営業は春先の大きな仕事だった。かつては爆笑問題も不遇の時代は予餞会の営業で糊口をしのいでいた。太田光は予餞会の営業に関して、「高校生は純粋なので有名でなくとも面白ければ笑ってくれる」と『太田光自伝』(小学館文庫)で話している。スランプにある芸人にとっては、金銭を得られるとともに、芸人としての自信回復も出来る場と言えるだろう。こちらもコロナの感染拡大で、卒業式とともに予餞会が中止になった学校も多く、稼ぎ時を逃した芸人は多そうだ。