デビュー当初は、作詞をイラストレーターの326が、作曲と歌唱を岩瀬と幼馴染の岡平が担当していた。『あの紙ヒコーキくもり空わって』などのヒット曲を多数リリースし、CD計650万枚を売り上げた「19」。『紅白歌合戦』(NHK)などにも出場し、将来を期待されるアーティストであったが、わずか3年で解散している。当時は「ギャラでもめて解散した」「ケンカ別れをした」など様々な噂をされていた。
岩瀬は、当時の給料について、当初は固定給であったため、家賃5万3,000円の家に住んでいたにも関わらず、「最初は月に10万円でした」と回顧した。
「ヒット曲が出た後には、契約を変更し、『5,000万円が振り込まれていました』と語っていましたね。大きな買い物をしているわけではなく、同じ柄のTシャツを2枚買ったほどで、無駄遣いすることはなかったそうですよ」(テレビ誌ライター)
解散の理由については、「すごく複雑に入り組んでいるんですけど、『若かった』というのが一番大きいかもしれない」とコメント。若さゆえに猪突猛進状態になってしまい、作品を世に出すまでは、お互い曲げられない部分もあったという。大きいケンカも一度あったようで、次第に曲を出した方に分がある状態に。親友から始まった関係ということもあってか、「感情のズレが寂しかった」と明かした。
ネットでは「本人達には色んな想いがあると思うけど…一ファンとしてはまた『19』として活動して欲しいなぁ」、「復活はないとわかっていたけど期待した自分がいた」と再結成を熱望する声も多い。岩瀬自身も「19」再結成を考えたことがあると明かすと、MCの名倉潤が「(岡平に)電話してみようよ。勢いで行った方がいい」とアドバイス。しかし、現在はその想いは消えているため、笑顔で拒否していた。
記事内の引用について
岩瀬敬吾オフィシャルサイトより https://iwasekeigo-official.jimdo.com/