岩瀬敬吾
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芸能 2025年08月05日 23時00分
岡平健治「19」解散は「お金の問題じゃない」 岩瀬敬吾、地元に戻るのを「止められてよかった」 今後はバラエティーで「ポンコツっぷりを見て笑ってほしい」
リアルライブ編集部は岡平健治に単独インタビューを実施。前半では経営者としての一面を掲載した。後半は、吉本興業と契約を結ぶ経緯、「19」での相方・岩瀬敬吾との関係性について聞いた。―吉本興業と契約を結ぶこととなった経緯を教えてください。大分前に、お笑いコンビ・極楽とんぼの山本圭壱さんから「けいちょんフェス」に呼んでいただいて、イベントに参加したのがきっかけになります。他にも「ハマラジャ」(テレビ東京系)というダウンタウンの浜田雅功さんやYOUさん、魔裟斗君たちと番組に出演させてもらっていたので、吉本さん自体とは、つながりがありました。―最近のネットニュースでも浜田さんとの再会が報じられていましたね。はい、プライベートで焼き肉に行って以来、何十年ぶりの再会でした。浜田さんはちょうど静養から復帰されたタイミングです。元気そうでよかったです。吉本に入ったことについて「なんで」とツッコまれました。いろいろな人から同じようなツッコミされています(笑)。ミュージシャンのイメージが強いからでしょうね。タレントとして活動していくと話すと、さらに驚かれます。本当に「なんで」って感じだとは思います。自分でもよく分かっていません(笑)。自分が苦手な分野ってタレント活動なんですよね。実業家としては全部チャレンジしてきて、もうできないことはないと思っています。だから、苦手なことに挑戦したいと思ったことが一番大きいですね。吉本さんとエージェント契約したのも、苦手なものに挑戦したいからです。タレント業は本当に断ってきました。バラエティー番組のオファーはとても多かったです。ミュージシャン像を壊しちゃいけないという、事務所の方針でもありました。例えば、歌いながら落とし穴に落ちるとか、モニタリングのカラオケとかですね。怖くて断ってきました。―「19」の相方の岩瀬敬吾さんとの関係性をどのように捉えていらっしゃいますか。あえて言葉にすると「戦友」ですね。言語化しにくいですが、あのまま解散せず、ずっと一緒に戦って仲間でいたかったんですけど。「19」でデビューして、21歳(本人談)で解散しています。はるか昔の話なんですが、高田馬場の専門学校のボーカル科に通っていたんですよ。1年くらい経ったときに、敬吾君が「才能ない」って言いだして、さらに先生とぶつかって、「もう広島に帰る」っていっていたのを止められてよかったです。そのときに「プロデューサーに会ってみる?」と聞いて、それから「19」が始まりました。敬吾君は僕にとって大事な存在です。今でも連絡しようと思ったら、いつでも連絡できます。本当に大事な存在で、いろいろ助けたいと思います。彼の子どもが大きくなったから、よけいにそう思うのかもしれません。―何事もきっちり決めてからやるタイプとお聞きしていますが、他にこれだけは譲れないというものはありますか。「19」という大事なグループを解散しておいて、真逆のことをしているんですが、人に迷惑をかけないことですかね。仕事をきっちりやるというか。仕事じゃないときはいいと思うんですよ。仕事はお金が絡むのできちんとしないといけないなと思います。実は、僕はたくさん仕事でだまされてきました。例えば、仕事の代金を払ったあとに会社を倒産されたりですね。いろいろ経験して、迷惑かけないことですね。解散させたお前が何言ってんのと思われるかもしれませんが。「19」は僕の中でお金の問題じゃありませんでした。あのときは何十億も稼げることが見えていました。21歳でしたが、「19」を続けていればどれだけ稼げるか、分かっていました。解散する決断が某なんたら先生みたいになってきましたが(笑)―今後も音楽活動は続けられるのでしょうか。はい、レコーディングスタジオも持っているし、社員ほぼ全員がミュージシャンなので。吉本さんに所属しているアーティストさんや芸人さんを音楽でお手伝いできたらと思っています。―最後に今後の仕事の展望を教えてください。バラエティー番組で、僕のポンコツなところやダサいところを見て笑ってください、と思って挑みます。僕には怖いものは何もありません。かっこつけて音楽をするっていう年齢でもありません。人間味たっぷりというか、ポンコツ具合を楽しんでください。「19」解散について、「お金の問題じゃない」と話す岡平。譲れないものがあったのだろう。今後はこれまで避けてきたバラエティーに挑戦するとのことなので、お茶の間をどのように楽しませてくれるのか、期待したい。前半はこちら
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芸能 2025年08月04日 10時00分
「19」岡平健治、音楽をやっていなかったら…… 経営者としての信条、明かす
吉本興業と専属エージェント契約を結んだ「19」の岡平健治。リアルライブ編集部は、岡平に単独インタビューを実施。経営者としての信条や吉本興業と専属エージェント契約を結ぶこととなった経緯などを2回に分けて掲載する。―スタジオやレコード会社、ライブハウスなどを経営されていますが、経営者としての信条のようなものはありますか。僕は1979年生まれで昭和世代だから、ガンガン詰められた世代です。でも、20代の社員やアルバイトには、一切怒りません。怒っちゃだめな世代かなと思っています。現代に併せて、価値観やコンプライアンスをアップデートしています。会社や社風も併せてアップデートするというのが信条ですね。うちの会社は就業時間を決めていません。社員には「一人一人が社長だよ」って言っています。Ltdってありますよね。日本語では「有限責任会社」という訳になるみたいですが。一人一人が責任ある立場ですよっていう会社にしています。社員には、スキルは1個だけではなく4~5個持ちましょうと話しています。このスキルはなんでもよくて、例えばコミュニケーション能力が高いとか、いろいろなカクテルを作れるとか、掃除が得意とか、そんなスキルでいいのでとにかく5個くらいは持ってほしいですね。―高い壁にぶつかったとき、どのようにして乗り越えられてきましたか。やっぱり歌を作ることで乗り越えてきました。歌で自分を鼓舞するという感じで。歌で救われて、歌で人を救っていると思っています。音楽が絶えず近くにあって、僕は音楽がないとだめな人生だったと思うんですよね。―もし、音楽がなかったらどんな人生だったと思いますか。すごく難しいですが、少なくとも東京にはいなかったと思います。資格はいっぱい持っていて、例えば、危険物や一級船舶の免許ですね。資格を生かして地元の広島で工業系の仕事をしているんじゃないかと思います。今も大工さんになりたいと思っているくらいで(笑)。自分でもいろいろ作ったりしています。アマチュアのレベルではなくて、本気でやれば収入になるレベルですね。会社にある自動ブラインドも自分で作りました。―手先が器用なんですね。そうですね、バイクのエンジンの載せ替えもします。物作りが大好きで、設計図を見ずに組み立てたりもします。子どもの頃から分解して組み立てていました。ツアー中もホテルに戻ったら模型やプラモデルを作っていました。とにかく何かしていないと落ち着かないタイプです。一応診断ではADHDでした。母は多分分かっていたと思います。だから、石けんの箱や牛乳瓶なんかとセロハンテープを置いてくれて、好きなもの作っていいよ、と物作りの環境を作ってくれました。何かを作っているときだけ静かにしていました(笑)。何か凝りだすと、突き詰めてしまう性格が、今の自分を作っています。音楽もそうです。投資も不動産もそうですね。運もよかったと思います。―話を聞いていると広く浅くや狭く深くというタイプなのかなという気がします。音楽だけは狭く深くじゃないとだめだと思います。それ以外は広く浅くでよくて、不動産は一瞬頑張ればあとは持続してくれます。音楽は狭く深くやっていかないと消えてしまうものなので。人の心をつかんでいく仕事だと思っています。だから、無関心だと音にも出て、人に感動をさせられなくなります。一芸でやり遂げている方は、本当に素晴らしいと思います。岡平が経営している会社は、ほんとどが音楽に関係するものだ。本人も話すように、音楽がないと生きられない人生だったと感じる。後半は、吉本との契約や「19」の相方・岩瀬敬吾との関係性について掲載する。
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芸能 2020年03月27日 23時00分
「5,000万円振り込まれていた」衝撃の印税を告白 元19・岩瀬、再結成を完全否定?
元「19」の岩瀬敬吾が、26日に放送された『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』(テレビ東京系)に出演。相方だった岡平健治との仲や解散の理由、さらには印税についても明かした。 デビュー当初は、作詞をイラストレーターの326が、作曲と歌唱を岩瀬と幼馴染の岡平が担当していた。『あの紙ヒコーキくもり空わって』などのヒット曲を多数リリースし、CD計650万枚を売り上げた「19」。『紅白歌合戦』(NHK)などにも出場し、将来を期待されるアーティストであったが、わずか3年で解散している。当時は「ギャラでもめて解散した」「ケンカ別れをした」など様々な噂をされていた。 岩瀬は、当時の給料について、当初は固定給であったため、家賃5万3,000円の家に住んでいたにも関わらず、「最初は月に10万円でした」と回顧した。 「ヒット曲が出た後には、契約を変更し、『5,000万円が振り込まれていました』と語っていましたね。大きな買い物をしているわけではなく、同じ柄のTシャツを2枚買ったほどで、無駄遣いすることはなかったそうですよ」(テレビ誌ライター) 解散の理由については、「すごく複雑に入り組んでいるんですけど、『若かった』というのが一番大きいかもしれない」とコメント。若さゆえに猪突猛進状態になってしまい、作品を世に出すまでは、お互い曲げられない部分もあったという。大きいケンカも一度あったようで、次第に曲を出した方に分がある状態に。親友から始まった関係ということもあってか、「感情のズレが寂しかった」と明かした。 ネットでは「本人達には色んな想いがあると思うけど…一ファンとしてはまた『19』として活動して欲しいなぁ」、「復活はないとわかっていたけど期待した自分がいた」と再結成を熱望する声も多い。岩瀬自身も「19」再結成を考えたことがあると明かすと、MCの名倉潤が「(岡平に)電話してみようよ。勢いで行った方がいい」とアドバイス。しかし、現在はその想いは消えているため、笑顔で拒否していた。記事内の引用について岩瀬敬吾オフィシャルサイトより https://iwasekeigo-official.jimdo.com/
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特集
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