一時は朝と昼で帯番組を担当。2006年には「一週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者(21時間42分)」としてギネス・ワールド・レコーズに認定されるなど「寝ても覚めてもみのもんた」という時代は今も昔である。
さて、そんなみのだが、彼のキャリアの中で一番物議を醸した「伝説の番組」といえば、やはり1998~99年にかけて放送された『愛する二人別れる二人』(フジテレビ系)ではなかろうか。
この番組は所謂「素人参加番組」で、一般から募集した夫婦が出場し、結婚生活の続行か、離婚かという人生の節目をショー的に見せる画期的な番組であった(当時は同じく素人参加番組の『新婚さんいらっしゃい!』(ABC・テレビ朝日系)と比較され『黒い新婚さん』とも呼ばれていた)。
出演する夫婦は顔をモザイクで隠して登場。みのは『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)で鍛えたインタビュー術で夫婦の悩みを聞き出し、同じく司会には美川憲一、パネリストには中尾彬に梅沢富美男、デヴィ夫人と現在のバラエティ番組でも活躍する人物と、2008年に亡くなった飯島愛という非常に濃いメンバーだった。
ガヤもうるさく、人生の岐路に立っている夫婦ということであれば放送事故は必死。毎週のようにスタジオで夫婦や浮気相手同士の殴る蹴るの乱闘が繰り広げられ、番組スタッフが止める光景は番組名物となっていた。そのような過激な番組であったため世間からの注目度は高く、平均視聴率は20%以上。最高視聴率は27%を記録し「20世紀最後のお化け番組」との呼び声もあった。
しかし、『愛する二人別れる二人』は人気絶頂の中、1999年11月で最終回を迎えてしまう。理由として、番組に出演したことのある女性が自殺し、遺書の中に番組に「やらせ演出」があったことが書き残されていたことにあった。なお、自殺の理由に『愛する二人別れる二人』があるとはされていない。
この事実が問題となり、スポンサー企業が相次いで降板する姿勢を見せたことからフジテレビは、ついに番組の打ち切りを決定した。
『愛する二人別れる二人』は90年代後半のバラエティ番組の「ダークな部分」を濃縮したような番組であったが、テレビが娯楽の王様だった時代だからこその番組だったと言えよう。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)