しかし、あまり取り沙汰されてはいないが、決して軽視するべきではないと思われる不安要素が1つある。それは今年2020年の干支である「ねずみ年」。今年で球団創設82年を迎えるソフトバンクだが、実は過去のねずみ年シーズンは前身球団も含めてかなりの苦戦を強いられている。
現在に至るまでに南海軍(1938秋-1944)、近畿日本軍(1944-1945)、グレートリング(1946-1947)、南海(1947-1988)、ダイエー(1989-2004)、ソフトバンク(2005-)という変遷を辿っている球団が、これまでに戦ったねずみ年のシーズンは計6シーズン。南海時代に迎えた最初のシーズンである1948年は「87勝49敗4分・勝率.640」で優勝と好結果だった。
しかし、次の1960年は「78勝52敗6分・勝率.600」で2位、その次の1972年は「65勝61敗4分・勝率.516」の3位と、Aクラスではあるものの1つずつ順位が低下。そして、南海時代では最後となる1984年は「53勝65敗12分・勝率.449」の5位とBクラスに転落してしまった。
さらに、南海からダイエーに移行し、前年から王貞治監督(現球団会長)が指揮を執っていた1996年は「54勝74敗2分・勝率.422」で最下位という結果に。ちなみに、同年は負けが込むチームに怒ったファンがチームのバスに生卵を投げつける、いわゆる“生卵事件”が起こったシーズンでもあった。
ダイエーはその後王監督の下でリーグ優勝3回、日本一2回と黄金期を迎え、ソフトバンクに移行した2005年以降もAクラスを継続。しかし、ソフトバンク時代で最初のねずみ年である2008年、チームは「64勝77敗3分・勝率.454」で1996年以来の最下位に沈み、王監督も辞任を余儀なくされてしまった。
以上に挙げたねずみ年6シーズンの内、全てBクラスに沈んだ後半の3シーズンはいずれもチーム防御率が4点台以上(1984年4.89/1996年4.04/2008年4.05)という共通点がある。この点を考慮すると、過去の二の舞とならないために2020年のソフトバンクが回避すべき点は、“投壊”であると言えるだろう。
なお、ソフトバンクの投手陣は翌2009年から昨シーズンまで一度も防御率4点台を突破してはいないため、順当に行けば今シーズンも防御率は4点台を下回る可能性が濃厚。ただ、近年は投打共に怪我人が続出し、チーム戦略に狂いが生じるシーズンが続いているため、このあたりのケアをどのようにするのかも、“投壊”を防ぐための重要な要素であると言えそうだ。
文 / 柴田雅人