各メディアの報道の中では、「前代未聞」という表現が用いられているこの一件。ただ、過去の歴史を振り返ってみると、コラスに負けず劣らずの形で契約を反故にしたお騒がせ助っ人が存在する。
2010年オフに入団したオリックス・フィガロは、翌2011年シーズンに「24登板・8勝6敗・防御率3.42」とマーク。2012年は「11登板・0勝5敗・防御率3.09」と最終的な数字自体は振るわなかったものの、開幕投手にも起用された助っ人だった。
しかし2012年12月19日、フィガロはまだオリックスの契約保留選手名簿に入っているにもかかわらず、米メジャー・ブルワーズとマイナー契約を締結。この一件を報じた同年12月20日の『日刊スポーツ』(日刊スポーツ新聞社/電子版)によると、フィガロの“二重契約”を受けたオリックス関係者は不快感をあらわにし、ブルワーズからの身分照会がなかったことも明かしたという。なお、オリックスは翌2013年1月28日にフィガロを保留名簿から外し自由契約とした。
2011年1月7日に巨人が獲得したバニスターは、メジャー時代にシーズン12勝をマークしたこともあった先発投手。そのため、チームのローテーションに入ることも期待されていたが、同年3月11日に発生した東日本大震災の影響による原発事故への不安を理由に同月15日にアメリカへ無断帰国した。
再来日の要請に応じなかったため、巨人はバニスターを他球団への移籍が制限される「制限選手」として申請。NPBもこれを受理して4月2日に公示したが、その後当人から「もう野球はやらない」という申し入れを受けたことにより、同月26日に通常の引退選手と同じように「任意引退選手」として公示された。
1974年3月26日に日本ハムに入団したスノーは、元々は一般の貿易会社に勤めていた異色の経歴の持ち主。仕事で来日した際に受けた日本ハムのテストに合格したためチームに加わることになったが、二軍初登板の前日で、給料日でもあった同年4月25日に突如として失踪した。
滞在先のホテルなどを捜索しても消息がつかめなかった球団は、同月30日にスノーの契約解除、及び日本球界でプレーする資格を失う「失格選手」の適用をパ・リーグ連盟に申請。その後5月2日になって、スノーは母国アメリカに帰国していたことが判明したが、状況が変わることはなく同月4日に契約解除、同月9日に無期限の「失格選手」として公示されている。
過去のお騒がせ助っ人と同じように契約を反故にしようと動いているコラスだが、果たして所属元のソフトバンクはどのような対応をとるのだろうか。
文 / 柴田雅人