「この日の『スッキリ』では、天皇陛下の即位をお祝いして行われた国民祭典とパレードを紹介。嵐はその国民祭典で、奉祝曲『Ray of Water』を熱唱。すると、心に響くものがあったのか、皇后・雅子さまが涙を見せられた場面もありました」(芸能ライター)
この紹介VTRを受けて、スタジオではハリセンボン近藤春菜が、久々の快晴だったことに触れ、「国民だけではなくお天気もお祝いをしている」とコメントを。すると、加藤がさらっと「嵐の歌も良かったね」と発したのだという。さらに、この後「歌詞見るとホントにジーンとしますよね」とまで絶賛したのだ。
だが、この加藤には、実は「前科」がある。9月26日の『スッキリ』を振り返ってみよう。
「それは、コメンテーターのモーリー・ロバートソンのある言葉が引き金になりました。要約すると彼は、『流行しているポップスを歌う嵐と、“君が代”で永久性、恒久性を歌う皇室を合流させることはどうなのか、ついていけない』と疑問を呈したのです。すると、加藤も同調し、『天皇陛下が即位されることをお祝いさせていただくという式典ですから、そこから逸脱してほしくない』と表情を曇らせ、同じく嵐が歌うことに否定的な意見を示したのです」(同)
つまり、この経緯を知っているファンにとってみれば、今回の加藤の手のひら返しの言葉が許せなかったのだ。SNS上でも、「へぇ、よくまぁ… この人は自分が発した言葉を覚えてないんだろうな…」「あんなに嵐のこと国民祭典に相応しくないとか散々言ってたくせに 雅子さまが涙されたら手のひらひっくり返す 見てられない」などとブーイングが続々。
人間、考え方が変わることはいくらでもあるが、こうしたワイドショーの司会は言葉に責任を持っているのだろうか。