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「中国の宗教戦争」を検証する

 宗教戦争はいつの時代でも、どこの国においても行なわれているようだ。
 たとえばお隣の中国。中国4千年の歴史の中でも、宗教は明らかに影響を与え、歴史を変えてきた。

 たとえば『三国志』の舞台が起こるキッカケになったのは、当時の新興宗教団体である「太平道」の信者たちが起こした「黄巾族(こうきんぞく)の乱」である。「乱」とは「戦争」という意味であり、当初この乱は宗教団体が起こした戦争であった。
 そして「黄巾族の乱」に乗じて曹操(そうそう)、劉備(りゅうび)、孫権(そんけん)といった英雄たちが群雄割拠する『三国志』の時代が来るのである。ちなみにこの頃の日本は、まだ弥生時代であった。

 やがて元(げん)の時代末期には、弥勒菩薩を新興する「白蓮教」という仏教の一派が反乱を起こす。彼らが紅い頭巾を着けていたことから、この反乱を「紅巾(こうきん)の乱」ともいう。
 「紅巾の乱」はやがて元帝国を壊滅させることになり、反乱軍の参加者であった朱元璋(しゅげんしょう)がやがて明(みん)の初代皇帝「洪武帝」となる。

 明が滅ぶと次に清(しん)の時代が来るが、清王朝も末期が近づいてくると、キリスト教系「太平天国」という集団が、清王朝軍と戦争を起こすようになる。時代は日本における幕末期で、アヘン戦争などで清王朝が西欧列強国に、蹂躙されている時でもあった。
 「太平天国」は清王朝軍と戦いながら、農民や流民を取り入れながら50万人以上の大軍団に膨張。やがて南京を占領するほどの勢力を得ることになる。
 「太平天国」がこれほどの快進撃を見せたのは、清王朝や清王朝軍の腐敗がひどく、大衆が「太平天国」の軍を応援したからなのだが、やがてその「太平天国」も内部分裂や内部腐敗が起き、1864年に滅亡する。

 また、清王朝末期には「義和団事変」というものがあった。これは宗教戦争というよりも、当初は中国に入ってきたキリスト教会や、キリスト教信者を襲撃する「義和団」という秘密結社の活動であった。
 しかし、義和団は宗教的色彩を強く帯びていて、「義和団の団員は神が乗り移り、銃弾で撃たれても刀で斬られても死なない」と団員たちが自らを信じるという、狂信的な一面もあった。そのため団員たちは、死を恐れずに銃弾の前に突撃し、屍の上に屍を重ねるという戦い方をしたという。
 義和団は西太后や清王朝と手を結び、日本、アメリカ、イギリス、ロシア、フランス、ドイツ、オーストリア、イタリアといった列強諸国に宣戦布告がするが、敗れ去っている。

 やがて中国大陸は、中国共産党が支配するようになるが、一説によると「共産主義「や「社会主義」も宗教の一種、という指摘もある。
 ともあれ、中国大陸における宗教戦争は、宗教教団同士の戦争というより、宗教団体が起こした反乱や暴動に、飢えた農民や庶民が乗っかり、それが原因で王朝が入れ替わったり、権力の移動が起こったりしてきたようだ。
 もし、今の時代中国大陸で新興宗教か、それに類似するものが出てきて、中国政府に対する暴動のようなことがあったとしたら…、それは中国大陸における新たなる宗教戦争の幕開けとなるかもしれない。

(巨椋修(おぐらおさむ)山口敏太郎事務所)

山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
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