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なぜほとんど流れなかったのか!? ある大物経済評論家の急逝報道

 今回のケースは、じつに珍しいのではないか。大物経済評論家急逝のニュースが、ほとんど報道されなかったからだ。

 ホンダの創業者・本田宗一郎氏の本や小泉純一郎元首相と『郵政省解体論』を書いた梶原一明氏が、3月25日に急逝した。享年77歳。梶原氏が書いた本は100冊を超えており、いずれも綿密な取材に基づいたもので内容も濃い。
 梶原氏は、雑誌『財界』の編集記者として、自動車業界などを担当した。トヨタ、ホンダ、日産などに強く、新米自動車記者なら誰もが「梶原氏のようになりたい」と憧れた大物記者である。それほど実績・知名度のある氏の死去が判明したのは、その1週間後だった。

 なぜ、わからなかったのか。これは氏独自の死生観と関係していよう。
 氏は「物書きは、すべて記事で評価される」という哲学を持ち、生前から派手な振る舞いを極力嫌っていた。万が一のことがあっても積極的な公表はしないでくれ、と親族に話していたという。
 葬儀・告別式は一切行わず密葬となった。取材先の企業や知人などからの香典や献花なども、一切断っている。目立つのは、自分が書いた作品だけで十分という考え方だったのだ。

 亡くなったある大物経済評論家の場合は、“送る会”まで派手なイベントにし物議を醸したことがある。
 「都心のホテルの一番大きな部屋を借り、会費を徴収し“送る会”が行われた。本人の意思がどの程度か明確ではないが、“送る会”を営業の道具にするような行為は、故人の名に傷が付くのではないか」(経済関係者)

 梶原氏死去の記事が掲載されたのは、自動車専門のウェブマガジンくらいなものだった。
 氏の生き様から、教えられることは少なくない。

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