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競輪人国記 香川(2)

 吉田実は平成6年6月に引退したが、昭和34年のオランダ・アムステルダム世界選のチームメイトとして参加した平林巳佐男(東京)との親交ぶりは有名。両雄とも酒好きで斗酒を飲み干すほどの酒豪だった。競走参加中でも吉田と平林の食卓にはビールの空きビンが乱立していたという。

 これを見たあるベテランは「あれだけ飲めば、競走に影響が出るだろう」と思ったそうだが、レースでは全く関係なく吉田が圧勝した。
 その後、平林は胃潰瘍を患い手術をしたが、再起してからは以前にもまして強さを発揮、地元京王閣記念を制覇した。ナーバスな今の選手に比べ体力、気力ともに上回っていたことは確かだ。

 吉田は後楽園の日本選手権前には、観音寺の自宅から早めに東京へ出て平林と共同練習をしていた。それが昭和33、34年の日本選手権制覇につながったのかもしれない。
 吉田と香川ラインを形成していたのが松川周次郎(13期)。先行一本の松川は同期の先行高原永伍(神奈川)にライバル意識を燃やしていたが、いかつい外見とは裏腹に愛想よく、質問には気軽に応えてくれた。
 松川は「まくりは好かん」と先行を武器として高原のまくりを不発にすることだけ考えていた。
 この松川―吉田ラインは昭和39年の後楽園・日本選手権で石田雄彦(大阪)と死闘を演じた。強引に松川の上昇を張った石田は2着失格。「スッポンの笹田伸二」(徳島)が、直線伸びて優勝、石田と香川ラインの間隙を突いての、まさに漁夫の利だった。

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