“夢MORI”は、メインキャストの森脇健児と森口博子の頭文字から取られ、のちにSMAPを脱退した森且行(現:オートレーサー)、森川美穂、森川正太、森末慎二、大森うたえもんなど、とことん“森”にこだわった。バラエティにも対応できるアイドル=バラドルが誕生し、テレビ業界を席巻していたこのころ。森口をはじめ、山瀬まみ、井森美幸、島崎和歌子、松本明子などの元女性アイドルたちは、引っぱりダコだった。そのカテゴリーになんとか滑りこもうと必死だったのが、SMAP。断崖絶壁の思いで、“夢MORI”に託した。
当時のジャニーズは、一世風靡した光GENJIの人気に陰りが見えはじめ、“ポスト光GENJI”の座を与えられたSMAPに、多大な期待が寄せられた。しかし、音楽番組は視聴率がふるわず、アイドルも氷河期に突入。歌手はどんどん行く手を阻まれ、ジャニーズアイドルの象徴である「歌って踊れるアイドル」だけでは、生き残れない実情だった。
SMAPはすでに、バラエティ、司会、舞台、ドラマ、映画などで、その芸の腕を磨いていた。ところが、振り返ればすぐそこでは、あまたのジャニーズJr.たちが、その座を虎視眈々と狙っていた。のちにデビューするTOKIOやV6、KinKi Kidsなどは、SMAPを脅かすに十分な実力の持ち主だった。光GENJIという超スーパースターの穴を埋められないSMAPにとっては、まさに四面楚歌。CDセールスも、芳しくなかった。そんなときに出会ったのが、“夢MORI”。ジャニーズでは前例なきバラドルの道を、開拓するしかなかった。
先の森をはじめ、木村拓哉、中居正広、稲垣吾郎、草剛、香取慎吾の6人が、初代SMAP。現在のももいろクローバーZのように、顔と名前をわかりやすく浸透させるために、“夢MORI”内ではイメージカラーで分けた。そこで誕生したのが、コント「音松くん」。SMAPは“スマイル戦士 音レンジャー”に扮した。
「合言葉はエコロジー」の緑松は、香取。手にするのは、盆栽などの植物系だ。「カレーが好物」の黄松は、草。手には当然、カレーライスを持っている。「ちょっとおませな桃松」は、稲垣。当時、ドラマで性的魅力を感じさせる美少年を演じることが多かったため、それをコントでも反映させた。真紅のバラを手にして、「合言葉は、愛」とカメラ目線を決めたのは、赤松の木村。「青い空と青い海を愛す」のは、青松の中居。ここに、白松の森が加わった。
92年10月には、SMAP全員としては唯一となった企画シングル『スマイル戦士 音レンジャー』を発売。セールス記録は7.8万枚で終わったが、放送局の壁を超えて、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に出演するなど、話題にはなった。“夢MORI”は、スペシャルコンサートも開催しており、のちにビデオ化されているため、音と映像は観ることができる。
番組イチの人気企画といえば、「スーパーキックベース」。これは、野球のセカンドベースのない三角ベースの形状のなかで、バットでボールを打つのはなく、ピッチャーが転がせるボールを、打者が蹴り返すというもの。基本的には野球と同じだが、オリジナルルールも設けられ、気軽に安価でできることが、視聴者に親近感を与えた。さらに、シンプルに体を動かすという簡単なゲーム性もウケ、番組を代表する人気企画に昇格。有名芸能人や格闘家チームを相手した激闘は、毎回テッパンで盛り上がった。当然、マネる小学生も多かった。
“夢逢え”からの“夢MORI”で、「バラエティといえばフジテレビ」のイメージを不動のものとした。しかし、95年、“夢MORI”はその使命を全うして、終了。同年、同局で『SMAP×SMAP』をスタートさせて、ゴールデンで初冠、全国放送という大願成就を達成した。翌96年、森が脱退して5人体制になって、SMAPは新章に突入。その後の活躍は、見ての通りだ。SMAP躍進。その隣にはつねに、フジが寄り添っていたといっても過言ではない。
(伊藤雅奈子=毎週木曜日に掲載)