そんな彼らのバックダンサーをおもに務めていたのは、デビュー前のKAT-TUN。まだ赤西仁、田中聖がいたため、メンバーが同じ6人というのが起用理由だ。ツアーにも同行し、ジャニーズ恒例の早着替えの手伝いをさせられていた。
ある公演で、森田剛の補助になったのは、中丸雄一。しかし、焦りに焦ったため、腕を袖に通すことができず、肩に乗せただけでステージに送りだしてしまった。それでも森田は怒ることなく、逆に励ましたという。
同様のミスは、歴代のジャニーズJr.の“あるある”。長野は少年隊・植草克秀に同じことをしており、「焦んな」と注意をされたという。
V6の最年長は坂本だが、ジャニーズキャリアがもっとも長いのは長野。元光GENJIの佐藤アツヒロと同期で、あのSMAPより先輩にあたる。現場で一緒になったとき、「おい、中居!」と長野が呼び捨てにすると、実情を知らない周囲のスタッフがピリッ。歌手デビューに7年の差が開いているのだから、当然といえば当然だ。
そんなV6。デビューは、フジテレビのバレーボールの『ワールドカップ』。彼らのデビュー曲が大会のテーマソングになり、大会サポーターを務めるという通例をはじめた。V6をトップバッターにしてその後は嵐、NEWS、Hey!Say!JUMP、NYC、Sexy Zoneがそれに続いた。
ところが当初、彼らのデビューはバレーではなくサッカーだった。Jリーグの発足に伴い、「Jイレブン」を結成。長野、井ノ原、森田、三宅、さらに嵐の大野智などがメンバーになったが、11人揃わなかったため、頓挫。6人なら…と仕切り直して、V6でバレーに落ち着いた。
来年でデビュー20周年。メモリアルと同時に、井ノ原に続くパパアイドルが誕生してもおかしくないが…。