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高橋四丁目の居酒屋万歩計(2)「中ざと」(なかざと、居酒屋)

 東京メトロ日比谷線、三ノ輪駅から徒歩220歩

 田中小実昌さんは、元祖バスおやじ。「バスにのって」(青土社)という、ご自身の脱力系身辺雑記には、運転席とほぼ並ぶ“最前列のひとり掛けの席に腰をおろしたいから”老人パスを使用しないとか、“ぼくにはいくらか収入もある”と、“オジイの意地”を見せたりして、その面目躍如ぶりが覗けてたのしい。 目覚めれば“一日に二本試写を見ないと、ソンをした気になる”から忙しい。東宝・松竹・東映の邦画3社、米国映画会社の極東支社であるメジャー各社、そして邦人資本のインディペンデント各社を、田中さんのような批評家やジャーナリストは忙しく駆け巡ることになる。たしかに、かつて勤めていた配給会社でも、新作の試写がはじまると、1回目か2回目にはかならず田中さんがいた。

 ミステリーの翻訳家であり、小説を書けば直木賞や谷崎潤一郎賞を受賞し、映画を観たり、映画に出演したり、洒脱(しゃだつ)なエッセーをものされたり、人生の全方位を堪能してらっしゃるお姿をひそかに崇敬していたので、お会いしてはもちろん、陰でも先輩がたのように、コミさんなどとは呼べなかった。ジャンルを超越して、それらをすべて一つの文体で貫かれたのが驚異なのだ。文章の読点にはいつもあのトレードマーク、毛糸の帽子がちょこなんとついているのだった。
 東京大学を卒業して、東京大学をこころよく思っていないミステリー好きなわたしの指導教授は、東大文学部哲学科は田中小実昌を入学させた一事をもって誇りとすべし、といつも毒づいていた。彼は田中さんの中退を、自分の卒業より上位に位置付けてもいた。
 田中さんの全方位人生で、極北の星は酒だろう。捜す糸口になる北斗七星は、夜空を見上げれば、なるほどひしゃく型をしている。
 2本の試写が終われば、灯ともしごろ。映画会社は銀座、有楽町、新橋、六本木に集中していたから、どこでその時を迎えても灯に不足はなかったろうが、しばしばバスに乗って「三ノ輪の『中ざと』にいくと、酎ハイを飲み、いつも煮こみをたべた」らしい。
 田中さんには気にいらないこともあった。「煮こみにいれる葱はザルにはいっていて、好きなだけ、煮こみにいれてよかったが、去年、都電の荒川線にのったかえりに、「中ざと」にいくと、葱はザルにいれていない。内臓を煮こんだ煮こみのうえにちょこんとのっかっていた。(中略)こういう進歩が気にいらない連中もいる」と、進歩に傍点まで振って、随分のお怒りようなのだ。
 後を追って、ここまで来てしまった身としては、その問題には箸(はし)をつけないことにして、酢の物、刺し身、おでん、天ぷら、煮つけなどをたいらげて、一息ついて、いい店だなあと合掌。

予算2000円
東京都台東区根岸5-21-11

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