小説『ノルウェイの森』は、青春の悲しみと喪失を描くと同時に、37歳になった主人公「僕」の追憶の物語になっている。『ノルウェイの森』の冒頭、ドイツの空港に着陸した飛行機の中で、主人公「僕」はビートルズの「ノルウェイの森」を耳にする。「僕」は「いつものように混乱」する。「自分がこれまで失ってきた多くのものを考えた」
37歳という現在を生きる「僕」は、『ノルウェイの森』のヒロイン「直子」をより深く理解できるようになっていた。『私のことをいつまでも忘れないで。私が存在していたことを覚えていて』と訴えた直子を思うと、たまらなく悲しくなる。「僕」は薄らいでいく記憶をたどり、青春の日々への追憶の旅に出た。
「僕」が神戸の高校に通っていた頃の友人だった「直子」に再会したのは、「僕」が大学に入学したばかりの5月。中央線の電車の中でたまたま「直子」と出会い、四ツ谷駅でいっしょに降りた。市ケ谷、飯田橋、お堀ばた、神保町交差点、お茶の水、本郷、駒込と歩く。四ツ谷から市ケ谷へ向かっていた時は「日曜日の午後のあたたかい日差しの下では、誰もがみんな幸せそうに見えた」が、「駒込に着いたときには日はもう沈んでいた」という距離。
季節が違うが、「僕」と「直子」の足跡をたどって『ノルウェイの森』の散歩道を歩いてみた。そこは、桜の道だった。
【四ツ谷から市ケ谷】
JR四ツ谷駅の改札を出ると、土手が見えた。周辺は、かつて「四谷見附」と呼ばれた江戸城外郭門があった場所。見附には、櫓(やぐら)、土塁、石垣等も築かれ、幕末に撮影された写真を参照すると、重々しい検問所のような雰囲気を持っている。「四谷見附跡」には、現在、石垣の一部が残っている。
土手を上がる階段の下から、満開の桜並木が見えた。階段を上がると、木々の間から、濠の対岸の様子が垣間見える。この辺りは、歩道の両側に桜が植えられている。木漏れ日が差し込む森の中を歩いているように思えてきた。「僕」と「直子」は、イタリアやフランスの太陽の下にでもいる気分だったのだろうか。しかし、物語の中の二人は、ドイツやノルウェーの暗い森の中にあるような世界へと入っていく。(つづく/竹内みちまろ)