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芸能ネタ 2015年06月10日 15時30分
次代の貧乏芸人
ハーフや2世タレント、高学歴やオネェ枠と肩を並べて、バラエティ番組でマストなのは貧乏。麒麟・田村裕が書いた自伝『ホームレス中学生』がミリオンヒットになって以降、芸能界は幼少期が貧乏だった芸能人を血眼で探している。無名ながらも、まさにその枠で開花したのは、タモンズ・大波康平だ。 母は、「お父さんを探しに行く」という捨て台詞を残して、幼いころに蒸発。そこから、祖母の年金暮らしが始まったが、姉との家族3人が暮らすに十分な生活費はなく、貧乏生活を強いられた。服は、学校の半袖半ズボンの体操着1着のみ。カバンはランドセルのみ。靴は、ギリギリ歩けるレベル。 学校の遠足で、山登りに行くことになったとき。祖母が「この格好で行って」と差し出したのは、カバン代わりのクーラーボックスと、靴代わりのゴムの長靴。集合写真を見ると、場所は山登りなのに、大波だけが海に行く格好をしていたため、「釣り人」というあだ名をつけられた。 ツラかったのは、冬場。半袖短パンで過ごすにも限界があったため、寒い日は、長袖の体操着に半袖の体操着を重ねるという工夫を凝らした。それでも寒いときは、祖母が「これを着ていけ」と、部屋のカーテンをおもむろに引きちぎり、コートのようにはおらせた。すると、社会の教科書に出てきたチリの民族衣装のポンチョにそっくり。以来、あだなが「ポンチョ」になり、貧乏すぎて1年で2回もあだ名が変わった。 こんな子ども2人を育てた祖母は、豪快そのもの。ファミコンが流行ると、段ボールでコントローラーを作ってくれたり、家族参加型のクリスマスパーティーでは、赤いものを身に付ければいいという固定観念から、広島カープのキャップをかぶって出席して、大のカープファンと思われたり。笑える貧乏だった。 ちなみに、子どもを置いて出て行っていた母は、中学1年生のときに、医者の男を連れて戻ってきた。それがのちの父となり、以降は裕福な生活に一変したという、オチまでしっかりついている大波の鉄板トークは、先輩芸人も大好物のようだ。
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ミステリー 2015年06月10日 15時00分
エリア51の発光現象は光無線通信だった?
ナチス・ドイツが空飛ぶ円盤の開発を進めており、第二次世界大戦末期にはほぼ実用段階に至っていたことは、オカルトマニアの常識といえよう。また、その技術情報や技術者を獲得した米空軍が戦後に開発を進め、有名なエリア51では試作機がさまざまなテストを行っていたことも周知の事実である。そして、エリア51周辺では怪しげな発光現象が繰り返し目撃されており、解明されざる謎として知られていた。しかし、その発光現象について、ひとつの興味深い仮説が提示されたのである。 まず、その仮説によれば謎の発光現象とは光無線通信によるもので、過去(恐らくは1940年代後半)から未来の何者か(例えば時空超越実験を行う工作員や、その時代に生きる協力者)へ向けた通信だとされている。光無線通信とは、赤外線や可視光線を用いた無線通信手段のひとつで、光の明滅でやりとりする光信号とは全く異なる。音声などの情報を光へ変調して送受信するもので、使用状況は無線電話のようにも見える。 光無線通信は第二次世界大戦前から存在しており、ナチス・ドイツや旧日本軍は光学会話装置あるいは携帯光電話として部隊へ配備、運用していた。また、光無線通信は現在のレーザ通信や光リモコンの母体となった技術でもあり、無線のように周波数帯の束縛を受けないことと、傍受が事実上不可能(受信者と同じ場所で傍受しなければならない)ことから、現在でも有用な通信手段として運用され続けている。 エリア51の発光現象で光無線通信説が注目されるのは、時空を超越して交信可能な手段としての光無線通信を打ち出した点で、これまでになくロマンティックでありながら、同時にもっともらしさも兼ね備えているのだ。論者は発光現象が確認された地点と1940年代当時の状況を照合すれば仮説の正しさが立証されるとしているようだが、なにをどう照合すれば良いのかについては全くわからない。 とはいえ、エリア51周辺では実際に米政府や関係者がさまざまな機器を用いて監視、あるいは通信しており、その相手が過去や未来の何者かであると空想の翼を広げるのは、なかなか楽しいことでもある。(了)
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レジャー 2015年06月10日 15時00分
キャバ嬢が生まれる瞬間(48)〜失恋をきっかけにキャバ嬢になった女〜
三村あかね(仮名・26歳) 私は半年前、2年間も交際していた男に振られた。今まで色々な場所へ旅行に行ったり、お互いの両親とも顔を合わせるくらいの仲で、近々結婚しようねって言ってくれていたのに、あっさり捨てられた。彼に誰かほかに好きな人が出来たのかを聞いたら、どうやら私と一緒にいるのが疲れたらしい。たしかに私の性格はわがままで、彼への不満をすぐに口にするような人間だけど、それも含めて愛してくれていると思ってた。 私は彼一筋だったから、唐突な別れに食事も喉を通らなくなり、なんの気力もなく、気付いたら8キロ痩せてた。とにかく家で1人でいると、ずっと彼のことを考えてしまい涙が止まらない状態。だからいつも、誰か友達を誘って飲み歩いてたな。お酒を飲めば少しの間だけでも嫌なことを忘れられるから、朝まで飲んで帰宅。会社は遅刻が続いて辞めてしまった。 友達もいつも暇ってわけじゃないから毎回私に付き合ってるわけにはいかない。そんな時に目に入ったのが、キャバクラの求人広告だった。お酒飲んでお話するだけでお金もらえるならっていう軽い気持ちで飛び込んだんだよね。あと自暴自棄になってたのもあって、お客さんからの誘いも断ってない。良くないとわかってはいても、抱かれているときはこんな自分でも必要とされてるんだって思える。彼氏に振られたときは自分の存在がすべて否定された気持ちになった時の反動なのかも。たしかに彼氏は欲しいし、結婚もしたい。でもまた裏切られてこんな気持ちを味わうなら、優しくしてくれるお客さんとの関係を楽しんでいたいって思う。だから失恋の傷が癒えるまではキャバクラ嬢として働くつもりでいます。 (取材/構成・篠田エレナ)
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スポーツ 2015年06月10日 14時00分
照ノ富士の大関昇進で日本の国技がいよいよ“モンゴル大相撲”の違和感
大相撲夏場所で初優勝した照ノ富士(23、伊勢ヶ濱部屋)が大関に昇進した。三役2場所通過での“飛び級”は、年6場所制となった1958年以降では初の快挙だ。 協会からの使者を迎えた照ノ富士の注目の口上は、「今後も心技体の充実に努め、さらに上を目指して精進いたします」というもので、これまでこんなふうに口上に横綱昇進の決意を盛り込んだ力士はいなかった。 「さらに上を目指すというのは何回も言っているよ。ただそれを入れただけさ」 記者会見の席ではケロリとした表情でこう言っていたが、いかに自分の相撲に自信を持ち、また精神的にも強いものを持っているかがにじみ出ていた。 「大相撲界は強気な人間の集まりですが、照ノ富士はその中でも群を抜いていますね。千秋楽、白鵬が日馬富士に勝てば優勝決定戦にもつれ込むところでしたが、この一番を支度部屋のテレビで見ていたときも、『自分では優勝決定戦でもう1回勝つつもりだった』と堂々と言っていましたから。照ノ富士の辞書に、弱気とか控え目という言葉はありません。上り調子の伸び盛りですから、ホントに年内の横綱昇進もあるかもしれませんよ。まだ3場所もありますからね」(担当記者) それに比べて相変わらず線が細い日本勢。中でも期待の遠藤(24)は左膝の故障を抱えての強行出場だったとはいえ6勝9敗と3場所連続の負け越し。中盤までは支度部屋でも険しい顔で無言を貫くことが多かったが、終盤に何とか盛り返して十両転落だけは免れた。 「左膝にお疲れさまと言いたい」 千秋楽の支度部屋で遠藤は苦笑いし、「こういう状況の中で15日間、取り切ったというのは自信になる。収穫の多い場所だった」と総括していた。 しかし協会関係者の多くは、こんな平幕下位で負け越して笑みを浮かべている遠藤ではなく、もっと上位で照ノ富士らと激しく渡り合う“まなじり”を決した表情の遠藤を求めている。 この分ではますます照ノ富士、さらには来場所で関脇返り咲きが確実な逸ノ城らとの距離は開くばかり。 「次の横綱も大関も、またモンゴル勢。日本の国技はまるでモンゴル大相撲」 こんな嘆き節が協会内部から聞こえてくるが、それでも若貴ブーム以来の3場所連続15日間満員御礼を記録中。ファンは全く気にしていないのかもしれない。
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社会 2015年06月10日 13時00分
達人政治家の処世の極意 第四回「竹下登」
政界に恐いものなし、絶対的権力を確立していた田中角栄元首相にとって、唯一、最後まで警戒感を露わにしていたのが、田中派幹部だった竹下登であった。なぜ、警戒だったのか。 竹下は島根県議を経て国会議員になるや、先週の当欄に登場した佐藤栄作の派閥に入り、その佐藤の退陣後は田中角栄のそれに入った。すなわち、佐藤の下で「待ちの政治」と「人事の要諦」を、田中からは「人心収らんの機微」を学び、政治の裏表、実体を知った。そのうえで、田中同様、記憶力は抜群、田中が蔵相時代、課長以上の経歴を頭に叩き込み、それを縦横に“活用”して最強官庁の大蔵省(現・財務省)を見事に把握してしまったように、竹下はまた島根県議に初当選した直後、一夜で県庁の課長以上の経歴、顔写真を脳裡に刻み込んでこれを“活用”、県政ににらみを利かせたほどの頭脳明晰ぶりだった。ために、田中としてはなんとも煙たい近親憎悪感があり、寝首をかかれる懸念を捉えていたということだった。 それでは、陣笠議員の頃の竹下の出世ぶりはというと、遅々としたものだった。同期生が政務次官(現・政務官)、副幹事長といった出世の階段を昇っていくのを尻目に、じつに国会対策副委員長を異例の6期約5年を務めたくらいだった。このポスト、その日の国会の委員会のアタマ数を確保するため議員に声をかけて歩くのが大きな仕事という、“下働き”の代表的ポストなのだ。しかし、このサエないポストでの時間を、竹下は見事に生かした。当時の自民党担当記者2人の、こんな証言が残っている。 「時間があれば国会内の野党控え室へ顔を出し、ニコニコしながら『お茶を一杯ごちそうになりに来ました』などと、“雑談”に精を出していた。時に、国会の状況から『あんたら、アレどう思っている?』などとやると、野党議員はつい乗せられて本音に近いことをペロッとしゃべってしまう。竹下はその一言を胸に刻んでおき、あとでそんな野党の“困ったこと”を黙ってフォローしておいてやったのです。当然、野党議員は感謝、与野党が対立した時でも『竹下が言うんじゃしょうがないなぁ』で、結局は妥協の道を探ることになった」 「議員会館も、よく歩いていた。かつて一時代を築いた人物でも、さすが往時のようには人が寄って来ない長老議員のところに、特別に用がなくても『近くまで来ましたもので』などと顔を出す。ひとしきりとりとめのない雑談に興じてくるんです。一丁上がりの議員にとっていまが盛り、あるいはこれからの人が訪ねてくれるほど嬉しいことはない。この“元大物議員”は、あとで他の議員と会った時などにしゃべるんです。『この前、竹下クンが来たが、あれはなかなか勉強している。将来、伸びるね』などと。こんな話が、やがて党の実力者にも届き、『竹下を一度使ってみるか』となるワケ。まさに、“老人キラー”でもあった」 こうした竹下の「雑談上手」は、相手への「おだて上手」ということもできる。おだては、しばしば相手との親近感を高める近道になる。持ち上げられて、悪い気を持つ者はいないからだ。人間社会は、心理戦争のルツボである。サラリーマン諸君は、相手におだての言葉ひとつも出ないようでは、とても出世はムリと心すべきだ。 筆者は生前の竹下に、何度もインタビューの機会を得ている。竹下は、サラリとこんなことを言っていた。 「僕のことを、気配り、雑談上手とか、究極のサービス精神とか言う人がいるが、じつは昔からの“習い性”になっているものなんだ。子供の頃からの母親の影響が大きい。『何事も怒ってはいけない。我慢、辛抱が一番。また、汗は自分で、手柄は人にあげなさい』と、よく言われた。それを後年、自然に実行しているに過ぎないのだが」 田中角栄が脳梗塞で倒れたあと、田中派の圧倒的多くがこの竹下を担ぎ上げ、派閥継承のあと総理大臣へ押し上げた。結局は、「竹下流処世術」が生きたということだった。竹下はその後、徹底したサービス精神と忍耐、我慢のうえで、「言語明瞭、意味不明」と言われた高度な国会答弁を駆使、それまで大平正芳、中曽根康弘の両政権がチャレンジ、挫折したわが国初の「消費税」導入を果たしてみせたのだった。=敬称略=■竹下登(たけしたのぼる)衆議院議員(14期)、内閣官房長官(第35・38代)、建設大臣(第38代)、大蔵大臣(第84・86・87・90代)、内閣総理大臣(第74代)、自由民主党幹事長、自由民主党総裁(第12代)などを歴任した。小林吉弥(こばやしきちや) 永田町取材歴46年のベテラン政治評論家。この間、佐藤栄作内閣以降の大物議員に多数接触する一方、抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書多数。
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トレンド 2015年06月10日 12時38分
薄毛の人が注意すべき音楽フェスとは?
夏の風物詩ともいえる音楽フェス。真夏の太陽の下で大勢の人たちと音楽を楽しむことはフェスの醍醐味のひとつだ。ただ、強い日差しや雨に濡れる可能性もあり、「薄毛」の人にとっては、ちょっと不安のことが多いのも事実。成人男性の3人に1人が悩んでいるとも言われている「薄毛」だが、そんな方はどの音楽フェスが安全に楽しめるのか、国内の三大音楽フェスを、銀座HSクリニックの北嶋渉氏のアドバイスのもと比較してもらい、分析した。 「FUJI ROCK FESTIVAL '15」。7月24日〜26日まで新潟苗場スキー場で開催される。同フェスは標高が高く太陽に近い場所での開催となるため、紫外線を浴びる量が地表よりも多くなる。また、空気が澄んでいるため紫外線を遮るチリ、埃が少なくなる点も紫外線を浴びやすい原因になってしまう。 続いて、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2015」も注意が必要だ。8月1日〜2日、8日〜9日に茨城県ひたち海浜公園で開催される同フェス。すでにきゃりーぱみゅぱみゅ、スピッツなどの出演が決定している。基本的に屋外での開催なので、直射日光を浴びる時間が非常に長い。ただ、「FUJI ROCK FESTIVAL '15」のように、高地での開催ではないため、少し安全だろう。 そして、もっとも安全と思われるのが、8月14日〜16日に千葉県幕張のQVCマリンフィールド&幕張メッセで開催される「SUMMER SONIC 2015」。メインステージは屋外のQVCマリンフィールドになるが、薄毛が気になる方は屋内の幕張メッセのマウンテンステージが直射日光を浴びずに済むのでおススメとのこと。現在、同ステージでは、BABYMETALの出演が発表されている。 以上の分析から、薄毛の人がもっとも注意すべき音楽フェスは「FUJI ROCK FESTIVAL '15」で、もっとも頭髪を気にせずに楽しむことができるのは、「SUMMER SONIC 2015」ということになりそうだ。*写真イメージ
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芸能ネタ 2015年06月10日 12時15分
爆笑問題の太田光 「さんまのお笑い向上委員会」を干されている事実発覚
9日深夜に放送されたラジオ番組「爆笑問題 カーボーイ」で爆笑問題の太田光が、フジテレビ「さんまのお笑い向上委員会」を干されていることを明かした。 「さんまのお笑い向上委員会」は、司会の明石家さんまを筆頭に、今田耕司、雨上がり決死隊の宮迫博之、爆笑問題の太田光、ネプチューンの堀内健、カンニング竹山、中川家、土田晃之など、お笑い界の第一線で活躍する芸人が集結し、予測不可能なトークを展開するバラエティ番組である。 「爆笑問題 カーボーイ」には、「さんまのお笑い向上委員会」で太田と共演している堀内がゲスト出演。「さんまのお笑い向上委員会」についてトークが展開されると、太田は「(番組に)呼ばれる数減ってんだから」と激白。堀内はスケジュールの問題と推測したが、太田は否定。「今まで抑えてたの全部外されてんだよ。本当なんだから」と今後の出演が白紙になっていることも暴露した。 実際に心配になった太田は、「さんまのお笑い向上委員会」収録後にさんまの楽屋へ行き、「なんか俺まずいことありましたか?」と聞いたが、さんまは「それはないねん。まぁ、いろいろあるねん」と理由を明かさず、濁されたという。 真相は不明だが、大人の事情といったところだろうか。
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スポーツ 2015年06月10日 12時00分
【甦るリング】第11回・周囲に流され過ぎた高田延彦
現在、テレビ朝日「サンデースクランブル」にレギュラー出演するなど、タレントとして活躍する高田延彦(旧名・伸彦)も、プロレスラー、格闘家として名を残したレジェンドだ。プロレスラーで、引退後、芸能人として成功した稀有な例の一人だ。その高田なのだが、現役時代、あまりにも周囲に流され過ぎて、自分の意思を貫けなかった印象が強い。 少年時代、アントニオ猪木に憧れていた高田は、中学卒業後、高校進学はせず、プロレスラーになるべく自己流で体を鍛え、1980年に新日本プロレスに入門。道場では師匠格の藤原喜明、兄貴分の前田日明に徹底的にしごかれる。 81年5月にデビューした後は、細い体ながら、抜群のプロレスセンスとガッツあふれるファイトで頭角を現し、離脱した初代タイガーマスク(佐山聡)の後釜として期待を懸けられる。甘いマスクであることから、女性ファンにも人気が出た。しかし、84年4月に前田らが参加した旧UWFが旗揚げすると、師である藤原に誘われるまま、同団体に移籍してしまう。その理由は「藤原さんが新日本からいなくなると強くなれない」とのものだった。あの時、高田が新日本にとどまっていたら、そのプロレス人生は違うものになっていただろう。 その旧UWFは格闘路線を標ぼうし、新たなプロレスのスタイルを模索したが、興行不振のため、85年9月、志半ばで活動停止。タイガーはプロレス界から去ったが、前田、高田ら、他のメンバーは業務提携の名のもとに、新日本に復帰する。当初は新日本対UWFの対抗戦が主軸となったが、高田はジュニア・ヘビー級戦線に駆り出され、第2代IWGPジュニア・ヘビー級王座に君臨。全日本プロレスから移籍した越中詩郎と伝説の名勝負数え唄を繰り広げる。高田は前田とのタッグで、IWGPタッグ王座にも就いている。 87年になって、長州力らのジャパン勢が新日本にUターンすると、UWFの立場はなし崩し的になっていき、長州の呼び掛けにより、旧世代軍対新世代軍による世代闘争に転換される。そんな中、同年11月19日に行われたUWF軍対維新軍の6人タッグマッチで、前田は木戸修にサソリ固めをかけていた長州の背後に回り込み、その顔面を蹴って、長州の右目に大ケガを負わせる。プロレスの暗黙のルールに反したとして、前田は出場停止処分を受ける。解除条件として、メキシコ遠征を言い渡されるが、これを前田が拒否したため、88年2月、新日本から解雇される。 新日本から追放された前田は新生UWFの旗揚げに動き、高田は兄貴分に誘われて、山崎一夫らとともに移籍。高田は新日本で、それなりのポジションを確保していたが、また新たな道を進むことになる。新生UWFは格闘路線をまい進し、従来のプロレスに満足できなくなった層のファンから絶対的な支持を得て、一大ムーブメントを形成。高田は前田に次ぐナンバー2の座に就く。その後、新日本から、藤原、船木誠勝、鈴木実(後にみのる)が合流し、戦力アップを図り、89年11月に東京ドームに進出するなど隆盛を極めた。 しかし、選手とフロント間に不協和音が発生。前田がフロントの不正経理疑惑を糾弾したことに対し、背任行為として出場停止処分を下すなど、両者間の激しいあつれきが発生。結局、新生UWFは90年12月にあっけなく解散した。前田は残った選手で新団体設立を目指したが、話し合いは決裂。前田は孤立し、船木、鈴木は藤原に付いていくことになり、高田らはUWFインターナショナル設立に動く。高田はついに団体トップの座に就き、社長に祭り上げられることになるが、果たして、それが良かったのかどうか…。 91年5月に旗揚げしたUインターは、新生UWFよりプロレス寄りのスタンスを取り、スーパー・ベイダー(ビッグバン・ベイダー)、元横綱・北尾光司、プロボクシング元WBC世界ヘビー級王者のトレバー・バービック、サルマン・ハシミコフ、ダン・スバーン、ゲーリー・オブライトらを招へい。タッグバウト(タッグマッチ)を導入したりした。 だが、新生UWFが三派に分裂したことで、集客に苦労し、経営はひっ迫していくことになる。95年6月、「近い将来、引退します」と宣言した高田は、同年7月の参議院選挙で、さわやか新党に担がれて出馬するなど迷走(落選)。このあたりにも、「NO」と言えない高田がいたようだ。落選により、引退の話はどこかに消えて行ってしまった。 いよいよ、経営が厳しくなったUインターはポリシーを捨て、新日本との対抗戦に踏み切る。同年10月9日、東京ドームで開催された新日本対Uインターの全面対抗戦は、興行的には空前の大ヒットとなったが、エースの高田は武藤敬司に敗れ、大きなイメージダウンを被る。その後も新日本との対抗戦は継続し、その流れからWARとの対抗戦にも飛び火。基本的に、技を受けないスタイルだったUの高田と、典型的な受けのプロレスの天龍源一郎との異色対決は、意外にも名勝負を奏でた。だが、反面、Uのポリシーはどんどんあってないようなものになっていく。 その一方、方向性が違ってきたこともあり、所属選手が次々に退団。96年10月には、交流のあった東京プロレスからのオファーを断り切れず、高田がアブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦するという仰天カードが実現。団体を守るため、高田はもはや、なりふり構わぬ姿勢を取ったが、ついにギブアップ。同団体は、同年12月で解散し、5年半に及ぶ活動に終止符を打った。高田は団体のトップとして、それなりの役割を果たしたが、経営者には向いているとはいえなかった。同団体のほとんどの選手は、新団体キングダムに移行したが、高田は参加しなかった。高田対ヒクソン・グレイシー戦を実現させるためのプランが進行していたからだ。高田は自らの道場を設立し、“400戦無敗の男”との対戦に向かうことになる。 そして、97年10月11日、東京ドームで開催された総合格闘技興行「PRIDE.1」(当時はKRS主催)で、高田対ヒクソン戦が実現するも、高田は完敗を喫し、プロレスファンの夢を打ち砕くことになる。その後、「PRIDE」シリーズは継続し、その代表選手となった高田はプロレスを封印し総合に専念。そのあたりから、「プロレスラー」と呼ばれることを嫌い、「ファイター」と称するようになる。 1年後の98年10月11日(東京ドーム)では、ヒクソンと再戦するも、またも敗退。高田の控え室は、マスコミ用のインタビュースペースの隣りに設置されていたが、試合後、大声で号泣する高田の嗚咽が漏れたのが記憶に生々しい。そもそも、「PRIDE」はプロレスファンを当て込んだ興行で、高田の存在は欠かせないものとなり、総合を継続。しかし、マーク・ケアー、ホイス・グレイシー、イゴール・ボブチャンチンに敗れるなど、戦績はかんばしいものではなかった。階級は違うが、弟子の桜庭和志が“グレイシー・ハンター”として、総合で大ブレイクを果たしたが、正直、高田は総合に適性があるとは思えなかった。 02年11月24日、東京ドームでの「PRIDE.23」で、高田はかつての弟子・田村潔司を相手に引退試合を行い、右フックで失神KO負け。Uインター時代、田村からの挑戦表明を高田が拒否した経緯があったが、二人はその遺恨をこの試合で水に流した。 引退後、高田はPRIDE統括本部長に就任し、運営会社のDSEが旗揚げしたエンターテインメントプロレス団体「ハッスル」に参画し、悪の高田モンスター軍を率いる高田総統に扮した。「ハッスル」では高田総統の化身の触れ込みで、ザ・エスペランサーとして復帰したが、これまた本人の意思だったのかどうか…。 09年7月をもって、「ハッスル」から撤退した高田は、リングと決別。その後、道場経営をしながら、タレントとして活動している。何度も大きなターニングポイントがあった高田だが、常に周囲の意見に流されてしまったイメージはぬぐえない。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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芸能ネタ 2015年06月10日 12時00分
西内まりや 本誌認定! 女性歌手ナンバー1の美女
シンガーの西内まりや(21)は、本誌が認定する「エロかわ歌手」1位だ。音楽は歌も大事だが、ビジュアルも重要だ。 読者にまだまだ馴染みが薄いだろうが、シンガーの西内はなかなか「男性誌向き」だと評判。'14年8月、『LOVE EVOLUTION』でデビュー。年末には『第56回日本レコード大賞最優秀新人賞』を受賞している。 「歌手は歌、声さえよければいいというのは建て前です。絶対、外見がいいに越したことはない。音楽評論家、レコード会社などの本音は見た目が重要なんです」(音楽ライター) 彼女は音楽系芸能事務所に所属。現在、女優、歌手として活動中だ。 「かつて事務所の大先輩には安室奈美恵(37)がいた。アムロはシンガーとして大成功しましたが、男性ウケはイマイチでした。女性や歌ファンならともかく、彼女がテレビに出ていても男性視聴者は興味をソソらない」(前出・音楽ライター) では、西内はどれほどの存在なのか。10代前半からティーン雑誌『ニコラ』(新潮社)にモデルとして登場。表紙にも起用されている。 「ニコモ(ニコラ・モデル)は、親が金を出しても載せたい雑誌。表紙を飾るというのはズバ抜けた存在で、OB女子の代表はガッキーこと新垣結衣(26)でしょう。西内は表紙の回数でも新垣に近い」(出版関係者) ティーン誌に出ているのだから、早くからビジュアルは評価されていたわけだ。 「後発で音楽に進んだんですが、歌もイケる。また、すでに女優として活躍。けっこう“エロかわ”系です」(投稿雑誌編集者) 女優としては、'13年のドラマ『山田くんと7人の魔女』(フジテレビ)に初主演。 「『山田君くんと7人の魔女』では、女子高生役として純白パンチラも披露。また5月25日には大ヒット米映画『ターミネーター』のイベントに登場。黒皮ジャンの下には、胸の谷間を強調したヘソ出しのベストを着て出てきた。けっこう露出派」(前出・投稿雑誌編集者) T170センチ、B83・W60・H85のサイズが物語る通りセクシーバディの持ち主。 「水着写真も存在します。巨乳ではないものの、細いウエストと大きめのヒップは買い。とくに股間はドテ大盛り豊かで、完全な男性向け。今後、背が少々高いのを、どう魅せるかでしょう。音楽系なら美女度No.1」(グラビアカメラマン) 歌もいいがグラビアも。
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芸能ネタ 2015年06月10日 11時52分
爆笑問題・太田光 高視聴率「第7回AKB48総選挙」をベタ褒め「みんなAKB好きなんだね」
9日深夜放送のラジオ番組「爆笑問題 カーボーイ」で爆笑問題の太田光が、6日にフジテレビで放送された特番「第7回AKB48選抜総選挙」の視聴率に驚きを露わにした。 「第7回AKB48選抜総選挙」(午後6時30分〜9時54分)の平均視聴率は、関東地区で18.8%を記録。瞬間最高視聴率は、第1位のHKT48・指原莉乃がコールされた場面で23.4%を記録した。平均視聴率は歴代2位にランクインし、高視聴率を獲得した。 ラジオ番組の冒頭で、太田が「また、総選挙の視聴率が18%だったらしくて、なんだかんだ言ってみんなAKB好きなんだね」と総選挙について触れると、田中も「そう。しかも、投票の数も多いんだよね」と2人とも高視聴率にビックリ。 田中が指摘するように「第7回AKB48選抜総選挙」の投票数は、前年から約60万票増え、過去最多の328万7736票にまでのぼった。1位の指原は約19万票を獲得し、2位の柏木由紀とは2万5000票以上の差をつけて、ダントツの1位に輝いた。 太田は「なんなんだろうね。AKBの人気ってすごいよね。世間では『AKBダメだ、ダメだ』って聞くじゃん。そういえば言うほど人気は増していってるよね」とAKB人気を分析し、「すごい数字ですよ。日本中が見てるのに近い」と高視聴率を獲得した「第7回AKB48選抜総選挙」をベタ褒めした。
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レジャー
アイルランドT キンシャサノキセキ断然
2006年10月06日 15時00分
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よしお兄さん、だいすけお兄さんの結婚を祝福「直接聞きました」 パパとしての喜びを語る
1999年11月13日 11時50分
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マギー司郎「童貞は舞台に立たせない」
1990年12月15日 12時55分
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中居正広がクレカ被害、詐欺師に対し「可哀想」
1990年11月15日 11時21分
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