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スポーツ 2009年11月30日 15時00分
ボクシング 興毅 今度は“場外銭”
WBC世界フライ級タイトルマッチが29日、さいたまスーパーアリーナで行われ、同級3位亀田興毅(亀田)が王者内藤大助(宮田)に判定勝ち。ライトフライ級に続き、史上7人目の2階級制覇を達成した。「運命の一戦」を制し、内藤との因縁に終止符を打った亀田家。ところが、この両雄の関係はこのまますんなり終わりそうにない。内藤陣営の“逆襲のシナリオ”が待ち受けている。 がけっぷちの亀田家が復活を遂げた。 2005年から始まった内藤との因縁の歴史。07年10月に大毅が挑戦するも返り討ち。あの日から立場は逆転し、「追われる側」から「追う側」になった。 ようやくたどり着いた運命の一戦。亀田家の長男として不覚をとるわけにはいかない。さらに10月のWBA世界フライ級タイトルマッチでは、次男の大毅がデンカオセーン・カオウィチット(タイ)に惜敗しており、興毅にこれ以上の失敗は許されない。 だが、そんな追い込まれた状況にもかかわらず、冷静さを失わなかった。2万1000人の観客を前に自分の距離を保ちながら、的確に王者の顔面を打ち抜く。最後まで主導権を渡さず、判定3-0で勝利。無敗で2階級制覇を達成した。 緑色のベルトをたすき掛けした新王者は「まだまだ夢の途中です。オヤジぃ、どんなもんじゃい!!」と“亀田節”をさく裂。「応援してくれたファンの皆さんに感謝です。内藤選手ありがとうございました」と感謝の気持ちを口にした。 35歳の王者を倒し、世代交代を成し遂げた興毅だが、今後の防衛ロードの道のりは前途多難。すでに次戦は暫定王者ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)との統一戦(指名試合)が義務づけられている。ポンサクレックは77戦のうちわずか3敗しか喫しておらず、数々の日本人ファイターの挑戦も退けている強敵だ。 興毅を待ち受けている問題はそれだけではない。新王者になっても、内藤の所属する宮田ジム側が興行権のオプションを2回保有していることだ。オプションとは、対戦相手や場所、日時の決定の興行権利のこと。 つまり亀田側は、宮田ジムの主催興行で2度防衛戦をするか、この権利を買い取るかのいずれかをしなければならない。 あるボクシング関係者は声を潜めて言う。 「オプションは、いわゆるチャンピオン側の“保険”のようなもの。モメますよ。80%の確率で。宮田(博行)会長のことだからどうもうけようかって考えて、これから亀田家をどういじめてやろうか考えてるんじゃないですか。宮田ジムの逆襲ですよ」 宮田会長はオプションの行使について「亀田クンからタイトルを取り戻すのが、MGプロモーションとしての役割ですから」と語っており、V2戦での再戦を視野にいれつつ、いざとなったら興行権を売り飛ばすこともできる立場にある。 興毅は内藤との因縁を「微妙な判定ちゃうしな。オレは立ち止まるわけにはいかん」と終戦を宣言しているが、どうやらそうはいかない。リングの次は内藤VS亀田の“場外銭”が始まりそうだ。◎オカンに捧げるベルト 内藤と亀田、両者の所属するジムは国道6号線をはさんで、わずか2キロほど。同じ葛飾区内に存在する。そんな「かつしかダービー」を制したのは、23歳の若き挑戦者だった。 10月には弟の大毅が世界タイトル奪取に失敗し、逆境にたたされていた興毅。「勝つことだけを考えた。自分のボクシングをしようと思って集中した」。挑戦者のハラは決まっていた。 興毅は、左右のフェイントを繰り出す変則モーションで接近する内藤と一定の距離を保ち続けた。右フック、左ストレートが顔面をとらえ、2Rには鼻血を出させた。 ポイントでリードしたまま終盤になると、左右のフックを振り回し猛攻を仕掛けてくる内藤のスキをつき、カウンターをヒットさせる。10Rには右のまぶたを切り裂いた。 王者に影を踏ませず、試合終了のゴング。「WBC世界フライ級新チャンピオン〜」とアナウンスされ、そのまま倒れ込んでキャンバスを3度たたき、喜びを爆発させた。 緑のベルトを肩にかけた23歳の若者は「1本目のベルトはオヤジに、2本目はオレを産んでくれたお母さんにささげたいと思います」と涙声で絶叫。 リングを降りると、真っ赤に目をはらした父史郎氏と抱擁を交わしていた。
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スポーツ 2009年11月30日 15時00分
ボクシング 内藤は引退できない!?
記者会見場に内藤は痛々しい姿で現れた。右目付近はテーピングで固定され、鼻は曲がり、左目は腫れてふさがっていた。「これが実力。口だけの男で本当に申し訳ない」と前王者はただただ自らを責め続けた。 押し込んでも攻めきれない。亀田興の左にのけぞる場面が目立った。劣勢が発表された採点は開く一方だった。最終的に最大6点差がついた。 くぐってきた修羅場の数が挑戦者とは違うはずだった。新人王、日本王座、東洋太平洋王座を獲得し、世界王座は5度の防衛。栄光ばかりではなく、異国のリングで1回34秒で大の字になった日もあった。苦い経験もすべて糧にしてきた。 しかし、どんな名王者でもいつかは落城する日が来る。前回の防衛戦で格下を相手にダウンを喫して辛くも判定勝ちするなど、最近は急速に衰えが出てきたのも事実だ。17度防衛のポンサクレック(タイ)を破って王座に就いた2年前のような鋭さはなかった。 今後については「ゆっくり考える」と明言はしなかった。ただし35歳が限界かもしれない。初防衛戦で弟の大毅を下し、“悪役”だった亀田家に初黒星をつけて一躍、茶の間の人気者となった男は、兄の興毅に敵討ちを果たされてボクサー人生に幕を下ろすか。しかし今回の防衛戦では宮田陣営が2つのオプションをもつだけに、もう一度内藤にチャンスが来る可能性もあり、引退出来ない可能性も出てきた。◎真弓さん「悔しすぎて涙も出ない」 内藤の妻、真弓さんは「悔しすぎて涙も出ない」と顔をしかめた。 今回は減量も順調で体調が良かったという。ただ「いつも試合前はやわらかい感じなのに、ピンと張っている感じだった」と、何か違う雰囲気に気付いていた。 夫の進退には「主人次第。やるんだったら応援したい」と話した。◎亀田父・史郎「よくやった」 亀田3兄弟の父、史郎氏は、関係者に何度も制止を受けながらもリングサイドに近づいて大きな声援を送った。試合後は涙で目を真っ赤にして「よくやった」と、リングを下りた新王者とがっちり抱き合った。 2007年に内藤に敗れた次男の大毅は「うれしい。お兄ちゃんが2階級制覇してくれてよかった」と喜んだ。
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社会 2009年11月30日 15時00分
千葉大生殺害放火事件で急展開
千葉県松戸市の千葉大4年荻野友花里さん(21)が自宅マンションで10月に殺害され自室が放火された事件で、千葉県警が別の事件で逮捕した男が荻野さんの殺害に関与した疑いがあることが30日までの捜査関係者への取材で分かった。けさ30日の毎日新聞によると、男は別の女性宅侵入事件で逮捕された40代で「ATM画像は自分」と認めているという。被害女性を“ストッキング緊縛”するなど手口が酷似しているとの見方もできる。千葉県警松戸署捜査本部は関与について慎重に調べている。 男は11月中旬、同県警佐倉署管内で発生した事件に関与した疑いで逮捕された。毎日新聞によると、男の関与が疑われている事件では、女性宅に侵入。女性を脅迫してストッキングで縛り、聞き出した暗証番号で近くのATMから現金を引き出したという。 荻野さんの事件では、焼け跡から発見された遺体には複数の刺し傷があったほか、首にはストッキングとみられる繊維が採収されている。共通点として、いずれも女性を狙っているほか“ストッキング緊縛”と“ATM引き出し”の手口が挙げられる。 男によく似た人物が現金を下ろすところがJR松戸駅近くのATMの防犯カメラに写っていたのは放火前日の10月21日午後。青いデニムふう上着に野球帽をかぶった男がややうつむきかげんに2万円を引き出す場面が記録されていた。計4カ所のATMを回っている。 県警は別事件で逮捕して拘置中のこの男と「ATMの男」の特徴が酷似しているとして、荻野さんの殺害についても慎重に調べる。けさの毎日新聞は、男がATM画像を自分と認めているとして1面トップで報じた。果たして同一人物か。 捜査本部によると、荻野さんは10月20日夜、知人宅で確認されたのを最後に連絡が取れなくなり、22日夜にマンションの自室が全焼。焼け跡のベッド上で、首や胸などを刺されて殺害されているのを発見された。 死因は刃物で胸を複数回刺されたことによる出血性ショックで、刺し傷は深いもので約11センチと、心臓付近まで達していた。
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社会 2009年11月30日 15時00分
松戸女子大生放火殺人事件3つのナゾ
千葉大園芸学部の荻野友花里さん(21)が千葉県松戸市の自宅マンションで何者かに殺害され、現場が放火された事件は発生1カ月を経てなお犯人特定に至っていない。兵庫から上京してひとり暮らしを満喫していた女子大生を襲った鬼畜はいまもどこかで息を潜めている。荻野さんの足取りを実地検証するとともに、事件に絡む3つのナゾを追った。 荻野さん宅マンションから火の手が上がったのは10月22日午後8時15分ごろ。焼け跡から荻野さんの遺体が発見され、胸や首に数カ所の刺し傷があった。司法解剖の結果、煙を吸い込んだ形跡はなく、死因は胸を刺されたことによる出血性ショック死と断定された。千葉県警松戸署捜査本部は80人態勢で捜査を進めているが、犯人のシッポはつかめていない。 第1のナゾは「2つの犯行動機」だ。マットレスの上に裸で横たわる遺体には布団がかけられていた。死亡推定時刻は放火前日の21日午前の可能性が高いという。なぜ殺したのか。そして何よりなぜ火を放ったのか。 遺体の身元はすぐに確認されている。同一犯ならば、殺害翌日にあえて現場に戻って放火した理由が分からない。強盗目的や通り魔的犯行はもちろん、怨恨などであっても遺体が発見されていればその場で逮捕の可能性もあった。 「むしろ現場から少しでも遠くに逃げたいと考えるのが通常の犯罪者心理だ。現場に証拠を残していることに気付き、それを隠滅・回収するために戻ったケースなどが考えられる。犯人が何らかの理由で警察に指紋を取られていた場合などは、部屋じゅう拭いて回るのは困難だから放火するしかない」(事件取材するジャーナリスト) 荻野さんとなんらかのかかわりがあった人間の犯行か、否か。上野のキャバクラでアルバイトをしていたことなどから交遊関係は広いが、現時点では両方の可能性を捨てきれない。 第2のナゾは「ATMの男の正体」だ。殺害当日の10月21日午後、JR松戸駅近くのATMで荻野さんのキャッシュカードを使って男が現金を引き出している。捜査本部は防犯カメラに映った男の画像を公開。男は駅周辺にある3カ所のATMを回りながら、結局2万円しか手にしていない。 ATMに防犯カメラが設置してあることはもはや常識だ。殺害犯かどうかは別にしても、他人のキャッシュカードで金を引き出す行為じたいに問題がある。いずれ画像が公開されるであろうことは容易に想像がつく。 あまりにリスクが大きいことから、振り込め詐欺などで使われる“出し子”説が浮上。いまだに名乗り出ないことからみて善意の第三者である可能性はほとんどなくなった。ただ、だれにいつどこでどうやって依頼されたのか。依頼→受諾の時間も場所も限られる。 第3のナゾは「荻野さんの足取り」だ。殺害される前日、荻野さんは西千葉の友人宅に泊まっている。この友人によると、朝起きたときには荻野さんはすでにいなかったという。就寝前「あす(10月21日)は大学に行く」と話していた。 捜査当局のその後の調べで、10月21日午前9時ごろ、JR西千葉駅の防犯カメラに荻野さんが映っていたことが判明。同9時半ごろにはJR市川駅の防犯カメラが荻野さんをとらえていた。問題は、市川駅からの足取りが分からないこと。ICカードには、大学の最寄り駅であるJR新京成松戸駅で下車した記録はいずれも残っていなかった。前出のジャーナリストが説明する。 「JR西千葉駅から松戸駅に向かうとき考えられるルートは3つ。JR津田沼駅で新京成に乗り換えて約40分のコースが最も使いやすい。ただ、高齢者らは津田沼駅から徒歩3分の新京成新津田沼駅まで外を歩かされるのを嫌がる。船橋駅や西船橋駅乗り換えのルートもあるが、計3本を乗り継ぐのが面倒。それに比べて市川駅下車は、渋滞などでバスの時間が読みにくいことを除けば乗り換えは津田沼ルートと同様に1回だけ。地元住民しか思いつかない“裏技ルート”といえる」 バスに乗ったと仮定しよう。千葉大園芸学部に行くためには市川駅から「松戸駅行き」「松戸車庫行き」いずれかの京成バスに乗る。両路線とも、市川駅から京成線国府台駅、北総線矢切駅、JR松戸駅を結ぶ約40分のルート。運転手によると、「和洋国府台女子高や国府台高校へ通う学生さんには重要な足だし、電車より便利なときもあるから朝9時台は相当混み合うよ」という。 殺害当日は水曜日で平日のため、満員バス状態だった可能性が高い。市川バスルートでは、終点松戸駅より手前に大学と自宅に近いバス停留所がそれぞれある。松戸駅から大学までは約20分歩かなければならないが、バス停「松戸二中」からは10分程度で済む。荻野さんは、満員バスを我慢してもとにかく歩くのがイヤだったのか。 しかし、結局この日は荻野さんは授業には出なかった。何らかの理由で自宅に戻るために「松戸二中」より2つ先の「小山」停留所で降りた可能性が高い。このバス停から自宅までは徒歩約5分。自宅から大学までは徒歩2、3分の距離だから、ちょっとした理由があっても家には帰りやすい。 荻野さんはなぜ自宅に戻ったのか? だれかと一緒だったのか? 電車やバスでだれかと遭遇したのか? 当日の目撃証言はなく、ナゾは深まるばかりだ。ただ自宅到着後わずか1〜2時間の間にこれほどむごい殺され方をする理由は見当たらない。取材時、荻野さんの自宅マンション前を通った老夫婦が、白いマンションの壁にいまなお残る黒い焼け跡を見上げて静かに手を合わせていた。一刻も早い犯人検挙が待たれる。◎他駅の利用は不可能 荻野さんが駅の防犯カメラに映っていた時間帯と列車運行時刻などから考察すると、朝9時半ごろに市川駅に到着した可能性が強く推察される。バスターミナルは駅前なので、9時39分の「松戸車庫行き」に十分間に合う時刻だ。ただ、満員バスで30分立ちっぱなしはキツい。始発なので座るために一本遅らせて9時44分の「松戸車庫行き」に乗ったケースも考えられる。 死亡推定時刻からみて途中バス停の国府台駅、矢切駅などで下車する余裕はなかった。
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レジャー 2009年11月30日 15時00分
ジャパンC(GI、芝2400メートル、29日) ウオッカ 勝利と引換に鼻出血発症 今後の去就は!?
秋の東京競馬のフィナーレを飾る「第29回ジャパンC」(GI、芝2400メートル、29日)は、ルメール騎手が騎乗した1番人気のウオッカがレコードにコンマ3秒差と迫る2分22秒4(良)のタイムで優勝。JRA通算7つ目のGIをゲットし、シンボリルドルフ、テイエムオペラオー、ディープインパクトと肩を並べた。だが、レース後に鼻出血していたことが判明。5歳も秋、果たしてウオッカの去就は!? 内でこらえるウオッカ、外から鋭く追い込むオウケンブルースリ。鼻面を併せてゴールに飛び込んだ2頭のマッチレースは写真判定の末、ハナ差でウオッカに軍配が上がった。 秋2戦の毎日王冠、天皇賞・秋は、ともに1番人気を裏切り(2)(3)着に惜敗。泣いて馬謖(ばしょく)を斬るかのごとく、主戦を務めてきた武豊騎手からルメール騎手にバトンを託して挑んだ今回は、陣営にとっても背水の陣だったに違いない。確定の瞬間、スタンドの大歓声とともに検量室では感極まって涙する関係者も見られた。 レースは好スタートからスッと好位をキープ。舌がハミを越した状態で追走する姿は、まさに舌なめずりする肉食系女子そのもの(?)。それでも、この日のウオッカは鞍上とケンカすることもなく、とても“いいコ”だった。ペースが上がり始めた直線手前、外にいたヤマニンキングリーが先に動いても、ルメールの「ちょっと待った」に、はやる気持ちを我慢させた。このひと呼吸遅らせた仕掛けが最終的に大きな大きなハナ差につながったのかもしれない。 「道中は落ち着いてうまくリズムに乗れたが、直線を向くときに行きたがるところがあった。でも、直線は長い。ためにためてパワーを温存したかった」 かつてJCはコスモバルク(2004年)、ハーツクライ(05年)で悔しい2着があるルメール。久しぶりにめぐってきた雪辱のチャンスに彼は冷静に対応した。 “初対面”は1週前の追い切り。陣営と綿密にミーティングを重ねるとともに、パートナーの背中を通して特徴をつかむことに努めてきた。準備期間はたったの10日余り。それでも、しっかりと結果を出すあたりが世界の名手といわれるゆえんだろう。 「(レースに)乗る前から楽しみだったし、乗れたことに感謝している。ウオッカはチャンピオン!」。青い瞳の貴公子は、自身初のJC制覇に喜びを爆発させるとともに、愛馬の労をねぎらった。 この日の勝利は、ウオッカにとっても記録尽くし。日本の牝馬による初のJC制覇はもとより、シンボリルドルフ、テイエムオペラオー、ディープインパクトに並ぶJRA通算7つ目のGIをゲットした。 しかし、その代償も大きかった。レース後に鼻出血を発症していることが判明。1カ月の出走停止となり、有馬記念には出走できなくなった。 年が明ければ6歳。お母さんになるには適齢期でもあり、引退もひとつの道としてある。だが、このまま現役を去るのも惜しい。JRA・GI8勝目という前人未到の大記録がかかるほか、まだ手にしていない海外GI制覇というビッグな夢も残っている。婚活か、キャリアウーマンを地でいくのか、陣営は究極の選択を迫られることになった。
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芸能 2009年11月30日 15時00分
小向美奈子「いろんなことに挑戦したい」
今年1月に覚せい剤取締法違反で逮捕され、懲役1年6月(執行猶予3年)の判決を受けた、元グラビアアイドルの小向美奈子が29日、都内書店で告白本「いっぱい、ごめんネ。」の刊行記念サイン会を行った。6月には浅草ロック座の舞台に立ち、表舞台に復帰を果たした小向だが、所属事務所は芸能界復帰を否定。果たして本人の気持ちはどうなのか? 6月の公演以降、ロック座の舞台には立っていないが、現在、再び舞台に立つために週3、4日のペースでダンスのレッスンなどを行っているという。小向の現在の肩書はアイドルでもタレントでもなく「踊り子」。「誇りを持って頑張りたい。いろんな人にあこがれられるようになりたい」と目標を語った。 自身の本のサイン会とはグラビアアイドル時代に戻ったようでもあるが、芸能界への未練はあるか、との問いに「どうかな? よくわからないです」と戸惑いの表情を浮かべ「とりあえず踊り子として認められるまでは」とあくまで芸能界復帰ではないと話した。しかし、その一方で「テレビや映画も機会があれば」と復帰に含みを持たせる発言も。 現在、ロック座の中の個人事務所に所属という形をとって活動しているという小向の事務所側は「テレビのオファーもあるが、まだ芸能活動というのは早いと思っている。基本は自粛。本の出版は今後につなげていければ」と話しており、「ほかの踊り子と区別をつけず、新人として厳しくやっていく」。まずはロック座の踊り子としての一人立ちが先という姿勢だ。 今後の活動予定は未定だが「年末年始、新春公演などロック座でできたらいいが。何かしらできたらと調整中」と近々の再舞台をにおわせている。 同著には「今までの自分のすべてと、これから変わっていこうと思っている自分について」を記し、初めてファンに明かすという流産してしまった経験や、恋人からの暴力、ドラッグと、まだ24年しか経っていない人生に詰まった壮絶な過去を告白。「思い出すのは辛いけど、自分を変えるため、悪いことを繰り返さないために思い出さなきゃいけなかった」と執筆の心境を吐露した。 自身について赤裸々に語ったものの、今後の活動について具体的に語ることはなかった小向。本人は芸能界への復帰も完全否定するわけではない。まだ24歳と若いだけに本人が「いろんなことに挑戦したい」という気持ちも当然のことで、踊り子から再度芸能界へという道も十分に考えられる。 いずれにせよ、「あやまっても、あやまりきれない」と謝罪した周囲の人間や、ファンが納得できるような今後の本人の歩み方が芸能界復帰へのカギとなるだろう。
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スポーツ 2009年11月30日 15時00分
Dynamite!! 吉田 石井デビュー戦ボイコット説浮上
ゴングまであと1カ月となった大みそか「Dynamite!!」に不協和音だ。今年は競合イベント戦極との合体興行になることが決まったばかりだが、どうも情勢が芳しくない。ここにきて戦極側のフロント更迭劇が明るみになり、一部では吉田ボイコット説まで噴出。あらぬ憶測を呼んでいる。 事の発端は戦極の中心的な役割を担っていた國保尊弘前取締役が解任されたこと。先の25日に合体興行が正式発表されたばかりというにもかかわらず、その直後に戦極を主催するワールドビクトリーロード(WVR)から「取締役解任に相当する事由があった」として、いきなり國保氏の更迭が発表されたのだ。 ただ、なぜかその解任する理由について明かされずじまいだったことから、よからぬ見方が出てきてしまっている。國保氏といえば、戦極のフロントとしての顔だけではなく、石井慧のプロデビュー戦の相手を務める吉田秀彦のマネジメント会社J-ROCKの社長。そういう状況もあって、格闘技関係者の中には「國保さんが引いたら吉田が試合しない可能性だってあり得る」と“最悪のシナリオ”を想定する向きがあった。 不穏なムードもあった。合流興行を発表した会見で吉田は本来戦極でやるハズだった石井戦を「Dynamite!!」でスライド実施することを突っ込まれ「それは戦極のときに決まっていたことで、いまは誰とやるか聞いていない。そこらへんは関係者に聞いてください」と微妙な受け答え。そこにK-1谷川貞治イベントプロデューサーも「吉田選手の口からは言えませんが、ボクの口からはやるって言えます。おくみとりください」と実に意味深長な発言をしたことから、キナくさいムードが漂っていたという。 果たしてこれはドタバタ興行の幕開けなのか。最後まで予断の許せない状況に違いない。
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スポーツ 2009年11月30日 15時00分
ZERO1 KAMIKAZEが川田に挑戦へ
紛糾していた世界ヘビー級王座挑戦者問題は、KAMIKAZEが王者・川田利明に挑むことが決定的となった。 12・13大阪大会で初防衛戦に挑む川田は「ZERO1の誰の挑戦でも受ける」と公言。KAMIKAZEが真っ先に名乗りを上げたものの、ZERO1は誰もが至宝奪回に燃えており、挑戦者選びは難航していた。だが、後楽園大会の8人タッグマッチで、KAMIKAZEはリバース・タイガードライバーで澤宗紀を撃破。田中将斗、大谷晋二郎、崔領二、佐藤耕平といった主力選手がそろう中で結果を出し、さらにファンを納得させる意気込みと気概を見せ、挑戦権を引き寄せた。 試合後、KAMIKAZEが「世界ヘビーは俺が獲る」と宣言すると、会場はひときわ大きな拍手と共感の輪に包まれた。バックステージでは大谷に「俺の心は誰よりも熱い。俺が川田からベルトを奪い返す」と直談判し、「思いは十分すぎるほど伝わった。即答はできないが、明日中には答えを出す」と言わせた。
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スポーツ 2009年11月30日 15時00分
ZERO1 日高 天下一ジュニアトーナメント初制覇
日々の鍛練のたま物だ。ZERO1の日高郁人が、29日に後楽園ホールで開催された「天下一ジュニアトーナメント」で、7度目の挑戦にして悲願の初制覇を果たした。 決勝戦は激闘と呼ぶに相応しい内容となった。日高は新日本プロレスのプリンス・デヴィットと対戦。ともに2回戦、準決勝を勝ち上がり、この日3試合目となるだけに両者とも疲労の色は隠せない。それでも2人は攻めの姿勢を崩さず、一進一退の攻防を展開。肉体的にも精神的にもギリギリの状態になろうとも、自分に妥協を許さなかった。競り勝ったのは日高。石見銀山からのエビ固めでデヴィットを下すと「苦しい試合は予想できていた。苦しい中から絞り出す力は普段の練習で身についている」とコメント。ムエタイ元世界王者の小林聡の元で日々厳しいトレーニングを積み、常に自分を追い込んできた成果が最高の形となって表れた。 優勝した日高は天下一ジュニア王座と、トーナメントに懸けられていたインターナショナルジュニア王座も獲得。澤宗紀とのコンビで保持するタッグ2冠と合わせて4冠となった。 そして、優勝者の願い事がかなう特典については、「俺の師匠、WWEのフナキさんをZERO1のリングに呼んで、タッグを組んで試合をしたい」と師弟タッグ復活を希望。絶頂期を迎えても浮かれず、あえて原点回帰を望むところは、いかにも日高らしかった。
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トレンド 2009年11月30日 15時00分
男の“甘味”党宣言 人形町「初音」
天保8(1837)年創業という、都内最古ともいわれる老舗の甘味処。店名は歌舞伎好きだった創業者が演目「初音の鼓」にちなんで命名。関東大震災など罹災のたびに再建し、今も創業時と同じ人形町で営業している。 国内産素材にこだわり、製法は昔ながらの手作り。例えば、あんは北海道産手選り小豆製、寒天は伊豆諸島産の天草製、黒蜜は沖縄八重山諸島産の黒糖製。 オススメは蜜で丁寧に煮て2晩寝かせた杏を乗せた「杏あんみつ」=写真。「クリームあんみつ」「筑前くずきり」なども人気メニューだ。 また、石ウスで毎朝ついているもちも隠れた名物。つきたての味わいは汁粉やぜんざい、玉子雑煮などで堪能できる。 ▼中央区日本橋人形町1-15-6