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芸能ニュース 2015年07月17日 12時02分
二階堂ふみ、戦争への思いを切々「伝えていくことは大切なこと」
女優の二階堂ふみが16日、主演映画『この国の空』(8月8日よりテアトル新宿ほか全国公開)の完成披露試写会に出席。太平洋戦争時の東京を舞台にした本作の完成に「戦後70年という節目でこの映画を作ることができて胸に来るものがあります」としみじみ感想を述べた。 本作は終戦間近の東京を舞台に、母・蔦枝と杉並区の住宅地に暮らす19歳の里子(二階堂ふみ)が、妻子が疎開して一人暮らしの隣家の男・市毛(長谷川博己)の身の回りの世話をするうちに、次第に女を目覚めさせていくという物語。この日は二階堂のほかに長谷川博己、工藤夕貴、富田靖子ら共演者と、脚本家で、本作で18年ぶりにメガホンをとった荒井晴彦監督も出席した。 二階堂は登壇すると「中学生の時に国語の教科書で茨木のり子さんの『わたしが一番きれいだったとき』を読んで、これが『戦争というものなんだ』ってものすごく肌で実感しました。脚本を読んだときも茨木さんの詩がすぐに頭に浮かんで、ぜひやりたいって。監督と初めてお会いした時も、人見知りでなかなか話せなかったんですけど、監督が茨木さんの詩のことをおっしゃられていて、そこで繋がった気がしました」と本作への出演経緯を説明。二階堂自身、沖縄県出身で、日常で戦争を感じることが多々あったと述べ、「(撮影で)戦争を経験した方から話を聞いてやっぱり改めて考えたり感じたりすることが多かった。こういうふうに忘れないことや、作り続けること、伝えていくことは大切なことだなと思いました」と切々と戦争への思いを訴えた。 劇中二階堂と不倫の関係に陥る役どころの長谷川はそんな二階堂に「ふみちゃんとは3年前に共演させてもらっていて2回目。この映画の撮影ではすっかり大人っぽくなって、成長の過程を見れたなって、喜んでいます」とにっこり。二階堂も「長谷川さんは普段からすごく仲のよいおにいちゃんみたいな感じ。現場では映画の設定もあるので、心の距離みたいなものをお互い取るようにしていたんですけど、出来上がった作品を観て、改めて共演できてよかったなって思いました。長谷川さんに引き出してもらったものも多かったんじゃないかなと思います」と共演の感想を述べていた。(取材・文:名鹿祥史)
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その他 2015年07月17日 12時00分
【不朽の名作】アイドル映画の究極“閉じコン”「CHECKERS in TANTAN たぬき」
1985年に『CHECKERS in TANTAN たぬき』という映画が放映された。当時、大人気だったバンド・チェッカーズを主役に抜擢したアイドル映画だった。この作品だが、色々な意味ですごい。究極のアイドル映画といってもいい作品だ。 この作品では、チェッカーズのメンバーが実名で登場するのだが、まず、「チェッカーズは実は人間に化けた、たぬきだった」というとんでもない設定の作品となっている。 どうしてこういう設定になったのか、おそらくは70年代から続く超能力ブームの影響を受けて、なにか特殊能力があった方が面白くなりそうと思ったのだろう。もしくは、制作スタッフにたぬき好きがいたからとかか…? まあ、設定の推測はこの際どうでもいい。なぜなら、殆ど設定の詳細な説明などないからだ。自身が「たぬきである」という葛藤もこの映画のストーリーの中心ではない。チェッカーズのメンバーの「アイドル性」だけでとにかく話の展開を押し切る。それがこの作品のメインテーマで、最近の言葉でいえば、閉じたコンテンツ(閉じコン)の最たる例の作品といっていい内容だ。 とにかくこの作品、キャラクターの説明が皆無に等しい、普通は、会話中で説明しなくても、シーン中行動にそのキャラクターの性格を匂わせたりするのだが、それもない。なぜなら、主役は当時絶大な人気だったチェッカーズだからだ。最初から見る人が、藤井郁弥や高杢禎彦など、メンバー7人の魅力を知っている前提で作られている。ファンならば、スクリーンの向こうでメンバーがワイワイ騒いでいるだけで楽しめてしまうのだ。逆にファンではない人が見ると、やってることすべてが意味不明とはいかないまでも、限りなく駄作に近い印象を持ってしまう。 まず、この作品で化けたぬき設定のチェッカーズメンバーは、米国の謎の超能力研究機関に追われているのだが、とにかくこの研究機関のシーンは、なんの伏線にもならない、無駄な会話シーンが多すぎる。他にも、チェッカーズ登場以外のシーンは、「駄作映画あるある」ともいえる、とりあえずオカルト的な雰囲気だけ出そうという、意味不明な演出の数々が、観賞者を襲うことになる。ちょっと気になる点といえば、財津一郎演じるオカルト好きの番組ディレクターが、矢追純一のオマージュなんだろうなと思う程度だ。肝心のチェッカーズのシーンも前述したように、ファン以外は「確実に切り捨てにかかっている」と思うシーンばかりだ。しかし、この切り捨てが悪い訳ではない、むしろこの切り捨てこそこの作品の肝だ。 実は、このファン以外を完全に切り捨てた作品構造は、かなり凄いことなのだ。例えば、現在でも男性のトップアイドルの地位にいるSMAPが全員揃って出演した映画『シュート』(1994年公開)は、作品の展開はアイドル映画だとしても、マンガという原作を借りて、一応ファンではない層も狙っている。今でいえば、AKB48のドキュメンタリー映画、「DOCUMENTARY of AKB48シリーズ」が近いかも知れないが、これも厳密にいえば違う。なぜならば、この映画にはドキュメンタリーという性格上、出演者達の「アイドル性」を壊す、苛酷さや葛藤や苦労あるからだ。アイドル性とは真逆の、ただの少女としての「生」の部分を見せてしまっている。 90年代や2000年に入ってからのアイドルとは違い、この作品は「アイドル性」を壊した状態のチェッカーズを見せずに、作品を成立させてしまっている。これは80年代や70年代のアイドルでしか出せない魅力といってもいいかもしれない。「生」の部分をあえて見ずに、「アイドル性」そのものだけを愛し、内々しか楽しめないノリを共有できるファンの数が、圧倒的に現在より多いから出来た作品形式だろう。 2015年現在で一番近いノリの作品を探すとすれば、実写ではなく、アニメ映画の『ラブライブ! The School Idol Movie』だろうか。この作品の、ニューヨーク旅行シーンは、地上波放送時に、作中のスクールアイドルグループ「μ's(ミューズ)」キャラに魅力を感じてファンになった人の為に、各々のキャラの性格を最大限に引き出した演出が図られている。その時の、「にこにー(にこちゃん)カワイイ」、「エリーチカかしこい(笑)」とファンが思うような、内々ノリの演出と同様のものを、『CHECKERS in TANTAN たぬき』では、「フミヤかわいい」、「ユーチャン(大土井裕二)おもしろい」という具合に実写でやってしまっているのだ。これは80年代アイドルが、アニメキャラに近い偶像的な、色々な意味での強烈な魅力を持っていた証明でもあるだろう。ラストシーンの、膨大なエキストラの数が、それを物語っている。 そして、おそらく当時のファンは、チェッカーズの歌を大画面で見ることを心待ちにしていただろう。その辺りは、オープニングのバーのシーンや、終盤のライブシーンでかなり丁寧な演出がされている。もうこの時点で、ファンなら100点満点をつけるだろう。そういった意味でこの作品は、チェッカーズそのもの魅力を信用した、究極のアイドル映画といえるのだ。チェッカーズが解散した今見ると、メンバー7人が仲良さそうに、ワイワイ騒いでいるシーンを見て、どこか虚しい気持ちにはなるが…。あと、序盤で謎の超能力研究機関に捕まった他の変化たぬきはどこに行ったんだろうか? 捕まったままなのか? フミヤを助けた後に、せめてその描写くらいはして欲しかったぞ!(斎藤雅道=毎週金曜日に掲載)
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アイドル 2015年07月16日 15時00分
AKB48 9期メンバーはイケメン好き?
アイドルグループ、AKB48の島崎遥香が“イケメン好き”を公言することが話題になっている。 島崎は先月放送された『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)で、「イケメンは目の保養になる。仕事で嫌なものを見たらイケメンで癒されます」と大胆宣言。好みの俳優として高良健吾を挙げ、恋人をつくるなら「絶対顔で選びます」とも語り話題になった。ロンブー・田村淳とともにMCを務める番組『淳・ぱるるの○○バイト!』(フジテレビ系)でも、たびたびイケメンに興奮する姿が話題となり、同番組では、「身長180cmくらいで、優しくてイケメンで面白い」と語ったこともあった。 島崎と同期である竹内美宥もイケメン好きを公言した。トークライブアプリ『755』で、ファンから自身の好みのタイプを聞かれた竹内は、「嘘つきや裏切る人は絶対無理」として、さらに、「ほどよく引っ張ってくれて、しっかり後先考えて、イケメン」と語った。ちなみに、この直後にファンから、「みゆちゃんって彼氏さんとかいる感じですか?」と質問され、「いたらこんなこと書かないです。隠します」と答えていた。 さらに、島崎、竹内と同期で、次期総監督である横山由依は、すでに卒業している大島優子から、テレビ番組で「すっげーイケメン好き」と暴露された。当時、好みのイケメンについては、「東方神起の2人」とも答えていた。 アイドルがイケメン好きであることを公言したり、暴露されたりすることは非常に珍しいことだが、なぜかAKB48の9期に固まっていることがナゾである。とにもかくにも、彼女たちはアイドルという立場の前に、普通の女の子であるということのようだ。
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芸能ネタ 2015年07月16日 12時00分
【バラエティ黄金時代】プロもアマも楽屋は全員大部屋『お笑いスター誕生!!』のスタンス
名もなき人間を、じっくり時間をかけて育み、ダイヤモンドのような輝きを放つお笑い芸人に仕立てあげる−−。そんな夢のようなプログラムが、昭和の時代に存在した。その成長過程は、小さなお笑いライブ会場ではなく毎週、テレビで伝えられた。テレビに出られて、ネタもできる。まさに、芸人にとっては夢舞台だ。 1980年4月12日にスタートした『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)は、プロ・アマ問わず、芸人を名乗る者(名乗りたい者)がネタで10週勝ち抜きに挑戦。番組終了までのおよそ6年で、とんねるず、B&B、おぼん・こぼん、九十九一(つくも・はじめ)、シティボーイズ、小柳トムほか、多数がグランプリを獲得した。グランプリに手が届かない者は、「ゴールデンルーキー賞シリーズ」、25組によるトーナメント「オープントーナメントサバイバルシリーズ」、「団体戦シリーズ 爆笑紅白大合戦」へ挑戦できたのも、うれしい配慮だった。 司会は、『ルパン三世』でおなじみの声優・山田康雄と、マルチタレントの中尾ミエ。山田の小気味いい名調子によって、元気よく階段を駆け下りてくる芸人。この登場も大きな見どころで、今でも懐かし映像で決まって起用される名物シーンだ。番組は、一般観覧客を招いて収録された。84年2月までは東京・山野ホールで、その後は、格闘技の聖地・後楽園ホールで2週間に1度のペースで行われた。このペースは、出る者をおおいに苦しめた。アマチュアにとって2週間に1度の新ネタ作りは、苦痛以外の何物でもないからだ。その苦痛を共有するためか、それとも、プロもアマも同じ土壌で戦うという番組意図のためか、楽屋は全員一緒の大部屋だった。知名度があろうとも、好成績を収めていようとも、このスタンスは崩さなかった。 当時、ぶっちぎりのおもしろさとスター性を放っていたのは、82年4月にグランプリを獲得した、とんねるず。当時はまだ素人で、貴明&憲武を名乗っていた。帝京高校を卒業後、ホテルセンチュリーハイアットに勤めていた石橋貴明と、ダイハツに勤めていた木梨憲武が、一般人として“お笑いスタ誕”に出演。当然、漫才をやれる技量はなく、ものまねや一発ギャグ、漫画のパロディなどを見せた。回を重ねるごとに注目されていったため、出演期間内にともに、勤務先を退社。プロ転向に本気になると、当時の日本テレビのゼネラルプロデューサーだった井原高忠氏が、「とんねるず」と命名した。貴明の「T」と憲武の「N」をもじり、“とんまとのろま”から、とんねるずに決めたという。 そんなふたりの笑いのルーツに触れたいと、みずから歩み寄ったのは、ガダルカナル・タカ。当時はつまみ枝豆と「カージナルス」を結成しており、とんねるずと同時期に“お笑いスタ誕”に出ていた。圧倒的に開ききった差を理解すべく、木梨に話しかけると、「新宿の百姓亭でライブをやってるから、来なよ」と誘われ、観にいった。そこはショーパブ。ステージでネタ見せしたり、ステージとわずかな距離に座る客をいじったりするふたりを見たとき、「追いつくことはできない」ことを確信した。 いっぽう、大箱の楽屋で異彩を放っていたのは、イッセー尾形。初期は、「尾形一成」として出演していたが、楽屋でも騒ぐことなく、おとなで、大器の片りんを見せていた。 手にしたグランプリを、その後はく奪されるという事態も起こっていた。結成直後、スタートしたばかりの同番組にアマとして出演したギャグ・シンセサイザーは当時、法政大学の落語研究会に所属。在学中にプロ転向宣言をして、10週勝ち抜きを達成したが、松園洋の病気によって、長谷川嘉昭がピンで活動。のちに、コンビを再開したが、今度は長谷川の交通事故が原因で解散。芸能界から去ったことで、グランプリをはく奪された。 浪速のしゃべくり漫才がウリだった大木こだま・ひかりも、同じ憂き目に遭っている。しかしこちらは、ひかりの薬物逮捕。番組の歴史に泥を塗ったばかりか、コンビ解散になったふたりだが、こだまはその後、現在の相方・ひびきと組み直して、漫才ロードを激走。見事、「上方漫才大賞」を受賞するまでにV字回復した。 ほかにも、ウッチャンナンチャンが初めて生でダウンタウンのネタを観たのが同番組だったという、貴重な逸話を残しながらも、番組は86年9月に終了。俳優のでんでん、ものまねタレントのコロッケ、マジシャンのマギー司郎、ミュージシャンのBro.TOM(小柳)、舞台役者のイッセーなど、輩出したタレントがお笑いに特化していないあたりは、同番組の多大なる功績といえよう。(伊藤雅奈子=毎週木曜日に掲載)
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芸能ニュース 2015年07月15日 16時00分
7・20無料イベント「TOKYO ISLAND」最終追加アーティスト発表
7月20日(月=祝)に東京・お台場の海の森公園予定地で開催されるフリーイベント「TOKYO ISLAND」の最終追加出演アーティストとタイムテーブルが発表された。 今回発表されたのは宍戸翼(The Cheserasera)、DJに角舘健悟(Yogee New Waves)。すでに発表されているアーティストはCaravan、神聖かまってちゃん、SPECIAL OTHERS ACOUSTIC、戸渡陽太、まらしぃ、吉田ヨウヘイgroup、LILI LIMIT。DJに片平実(Getting Better)、鹿野淳となっている。LIVE STAGEのトリは神聖かまってちゃんだ。 同フェスは、お台場のもっと先、まだほとんどの人達が知らない埋め立て地の一部で行われる。ディズニーランドから東京スカイツリー、そしてお台場の全景と、すべてがパノラマ状に見える絶景が楽しめる場所で、日没までのフリーライブとなる。ウオーターフロントの海風を感じながら、海の日の1日を野外で楽しんでみては?■オフィシャルサイト http://tokyoisland.tokyo/■公演名:TOKYO ISLAND(トーキョー・アイランド)■開催日程:2015年7月20日(月・祝)海の日 開場 11:00 / 開演 12:00 / 終演 18:00頃(日没前予定)■会場:海の森公園予定地(東京都江東区青海3丁目地先中央防波堤内側埋立地)■料金:入場無料(但し会場までのシャトルバス利用料を別途頂きます)
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アイドル 2015年07月15日 15時01分
生まれも育ちも“大阪”のユニット「MK-twinty」インタビュー
生まれも育ちも大阪の二人組J-POP ユニット“MK-twinty”。地元の高校で出会った仲良しふたり組でヴォーカル・ユニットを結成した。7月15日にはアルバム「まいどっ! MK-twinty」を発売する。アイドル専門チャンネル「KawaiianTV」の生放送番組「アイ情 生診断 DNA」に生出演した後の二人にインタビュー。話を聞いた。 −−今回、アイドル専門チャンネル「KawaiianTV」に出演されたということは、お二人はアイドルということで大丈夫ですか? KANA アイドルでもなく、アーティストでもなく…。 MASUMI ポジティブユニットというカテゴリーを新しく作っていきたいと思っています。 −−番組に出演されてどうでしたか? KANA あっという間でした! MASUMI もっとしゃべりたかったです。 KANA 得意…というのは、ちょっと言い過ぎですが、しゃべることが大好きなので。 −−結成は高校が同じだったことがきっかけということですが MASUMI 高校を卒業して夢を語った時に、二人とも同じように芸能界に憧れていました。 KANA 高校時代は同じ服を着て、よくお祭りに行ってました(笑)。歌は大阪では自信があったのですが、東京へ来て、コテンパンにやられました。 −−お互いのはじめての印象は? MASUMI ドギツイのがきたな〜って。ダボダボのジャージを着てて。こっちは、「隠れろ〜」みたいな感じで。 KANA 最初は仲よくなかったんな。 MASUMI そんなKANAが私の教室のドアを突然開けて、私に「プリクラ持ってる?」って。「コワイのきたで〜」って思っていました。 KANA 当時はプリクラがはやっていて、プリクラ交換からが、今でいうところのLINE交換みたいな感じでした。でも、私の印象では、ロンスカでかわいらしい子というイメージがあって。そんな子のプリクラが欲しかったんです。本格的に友達になったのは、高校3年からで。でも、なんで仲良くなったかは、あまり覚えてないんですよ。 MASUMI 高校3年の時に10人くらいの仲良しグループになったんですよ。 KANA 原付で集まるグループです。もちろん、交通ルールをしっかりと守って、一列で移動してました。ただ、その時は、まだお互い、何も知りませんでしたね。今では、一番、お互いを知っている二人だと思うんです。 MASUMI 今はもう、全部知ってるし、怖くもないです(笑)。 −−デビューアルバム「まいどっ! MK-twinty」の中に、すっちーさんの監修の曲「大阪あるあるII 〜すち子 ver.〜」もありますね。 MASUMI すっちーさんに作ってもらっている中で、すっごく共感できました。大阪のおばちゃんがテーマなので、「これ、誰かのお母さんが言ってたな」って。 KANA すっちーさんにも実際にお会いしたのですが、テレビでしか見たことなかったのですが、物静かな方で意外でした(笑)。 −−すっちーさんと言えば、“乳首ドリル”ですが、お二人が“乳首ドリル”をしているところが、スポーツ紙に掲載されましたね。 KANA あれは、勝手にやってて、公認をもらってないんです。 MASUMI 今度、お会いする時に、ぜひ教えてもらって公認を頂きたいです。 KANA そもそも芸人さんがやらないとスベるので、いろいろ聞きたいんです。勢いと間があってこそ面白くなると思うので。練習したんですが、おもろないんです。 MASUMI 路上とかで練習しました。 −−大阪出身のお二人から見て、東京のイメージはどうですか? MASUMI めっちゃ冷たいと思っていたんですが、冷たいんではなくて、それが普通ということに最近、気づきました。むしろ、大阪がやかましいんです(笑)。東京も十分優しいんですが、優しさの度を超えているのが大阪だと思うんです。 KANA 東京は親切ということがあっていると思います。 −−最後にファンの方へメッセージをお願いします。 KANA みんながポジティブに元気になってもらえるように、MK-twintyも気合を入れていきます! 応援、よろしくお願いします! MASUMI (大きな声で)頑張るぞ! オー! この日二人が出演したアイドルチャンネル「KawaiianTV」の「アイ情 生診断 DNA」は初めての放送だった。MCのポテト少年団の菊地は「30分の生放送が楽しくて時間が経つのが早すぎましたね。あっという間なので慣れていかないと」とコメントしてくれた。番組の目玉であるアイドルの私物をプレゼントするコーナーでは、“MK-twinty”が実際に本人たちが身に着けていたリストバンドをその場で外してプレゼント。 かなり盛り上がったが、菊地は「アイドルなので無理やりプレゼント出してもらうとファンに怒られるので、どんどん自らレアなものをプレゼントしてくれるアイドルの方たちがたくさんゲストで来てもらえると良いんですが。本気で拒絶されると(笑)」と話した。 アイドルの私物もプレゼントする「アイ情 生診断 DNA」はアイドルチャンネル「KawaiianTV」で隔週金曜日21:30〜22:00で生放送。(初回7/10(金)21:30〜)お見逃しなく!
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芸能ニュース 2015年07月15日 14時37分
ネイマールも絶賛 バルサ“3冠”達成の裏に枕アリ! 「バルサの活躍に一役買ったことは間違いない」
サッカーブラジル代表でFCバルセロナに所属するネイマールJr.が15日、「東京西川・ネイマールJr. 公開測定&サッカー交流」のイベントに出席した。 2014-2015シーズンのバルサは、国内リーグ、国内カップのコパ・デル・レイ、そしてUEFAチャンピオンズリーグで優勝を果たし、見事“3冠”を達成した。個人では国内リーグで22得点をマーク、UEFAチャンピオンズリーグでは10得点を記録し、メッシとクリスティアーノ・ロナウドに並び得点王に輝いた。 ネイマールとしては、バルサに移籍してから2年目で3冠及び得点王に輝くなど、エクセレントなシーズンとなった。1年目のシーズンについては、「学びの年」と表現し、2年目のシーズンについては「素晴らしいシーズンでした」と振り返った。チームメイトにはメッシを代表とする世界トッププレイヤーが数多く所属し、2年目で3冠及び得点を獲得した要因として「仲間の絆」とチームメイトをリスペクトした。 ネイマールを睡眠の側面からサポートしている東京西川。ネイマールは、東京西川が展開しているオーダーメイド枕を愛用しており、「バルサの活躍に一役買ったことは間違いない」と同社製品に太鼓判を押した。
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スポーツ 2015年07月15日 12時00分
【甦るリング】第15回 生けるレジェンド“最強の外国人”スタン・ハンセン
1980、90年代に日本マット界で活躍した外国人のなかで、ヒール(悪役)として大成したのが、アブドーラ・ザ・ブッチャーとタイガー・ジェット・シンであるが、“最強の外国人”といえば、“不沈艦”と呼ばれたスタン・ハンセン(65)以外になかろう。なんせ、新日本プロレスではアントニオ猪木を、全日本プロレスではジャイアント馬場を破ったのだから、誰も異論はないだろう。 ブルロープを振り回し、立場的にはヒールではあったが、凶器攻撃を繰り出すわけではなく、純粋に強さを全面に押し出した選手だった。ハンセンは米ウエスト・テキサス州立大学を卒業後、プロフットボール・プレーヤーとなったが、解雇され、故郷に戻って、中学校の教師をしていたインテリだ。 そんな時、大学のフットボール部の先輩であったテリー・ファンクから誘いを受け、プロレスラーに転職した。教師の給料は決して、いいものではなかったようだ。 73年1月にデビューしたハンセンは、若手時代、日本から修行に来ていたジャンボ鶴田や、後にWWWF(後にWWF→WWE)ヘビー級王者となるボブ・バックランドとともに、トレーニングで汗を流し、将来を語り合う間柄となっていた。75年9月には、全日本に初来日するが、まだまだグリーンボーイで、パワーで押すだけの不器用な選手だった。76年にWWWFに登場し、当時のヘビー級王者であったブルーノ・サンマルチノとの対戦するチャンスを得たが、首を負傷させてしまい、同団体に定着することはできなかった。 77年、日本で闘うリングを新日本に変え、徐々に頭角を現していく。そして、80年2月には、ついに猪木を破って、NWFヘビー級王座を奪取。シンを追い抜いて、新日本の外国人エースの座に就く。ハンセンもまた、シン同様、猪木が闘いのなかで、育てた選手といえよう。81年に入ると、再びWWFマットに上がるようになり、旧友バックランドのもつWWF王座に何度も挑戦するなど、ライバル関係を築いた。同年、日本では新日本と全日本による仁義なき引き抜き戦争が勃発。新日本がブッチャーを引き抜くと、報復として全日本はシンを引き抜いた。さらに、全日本はハンセンにもターゲットを絞り、師匠格のテリーが仲介役となって、移籍が決定。同年12月の「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦で、ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカのセコンドで登場したハンセンは、対戦相手のザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニア&テリー)に弓を引き、ブロディ組の優勝をアシストした。 82年から本格参戦すると、馬場、鶴田、天龍源一郎らと激闘を展開。馬場からPWFヘビー級王座を奪取した他、インター・ヘビー級、インター・タッグ、PWFタッグ、UNヘビー級などあらゆるタイトルを獲得。後に統一された3冠ヘビー級、世界タッグ王座にも戴冠した。馬場が第一線から退き、天龍が離脱、鶴田が肝臓疾患のためトップ戦線から去った後も、三沢光晴、小橋健太(現・建太)、川田利明、田上明らの厚い壁となって立ちはだかった。 全日本に定着してからは、日本での活動をメーンにしていたが、85年12月には、リック・マーテルを破り、AWA世界ヘビー級王座を奪取した。これが、本国で残した唯一の大きな勲章となった。馬場の死後、00年6月に全日本から大量離脱騒動があったが、ハンセンは動かず。ただ、体力的な衰えは隠せなくなっていた。両ヒザの故障を理由に、ハンセンは引退を決断。01年1月28日、東京ドームでの「ジャイアント馬場三回忌追悼興行」で引退セレモニーを行い、プロレスラー生活にピリオドを打った。 私生活では、リング上でのキャラとは打って変わって紳士。外国人ながら、義理人情に厚く、世話になった馬場夫妻に忠誠を誓っていた。現夫人は日本で知り合った日本人女性(ユミさん)とあって親日家。今年6月には、プロレスリング・ノアからゲストとしてオファーを受け、三沢光晴7回忌追悼メモリアルツアーに帯同し、元気な姿を見せてくれた。長年にわたって、全日本、新日本の両団体でトップを張ったハンセンは、紛れもなく、生けるレジェンドだ。(ミカエル・コバタ=毎週水曜日に掲載)
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芸能ネタ 2015年07月15日 11時45分
「2015上半期タレント番組出演本数ランキング」 男性は国分太一、女性は小島瑠璃子がトップ
メディアの調査・分析を行うニホンモニター(東京都港区)が、「2015上半期タレント番組出演本数ランキング」を発表。男性部門は国分太一(TOKIO)、女性部門では小島瑠璃子がトップに立った。 昨年の年間王者である国分は、帯番組「白熱ライブ ビビット」(TBS)を始め、「国分太一のおさんぽジャパン」(フジテレビ)、「男子ごはん」(テレビ東京)などのレギュラーをもち、349本に出演し、2連覇へ向け好発進。 男女総合のトップ10は、2位=設楽統(バナナマン)=310本、3位=有吉弘行=261本、4位=加藤浩次=254本、5位=坂上忍=242本、6位=澤部佑(ハライチ)=236本、7位=後藤輝基(フットボールアワー)=235本、8位=博多大吉(博多華丸・大吉)=227本、9位=小島瑠璃子=226本、10位=若林正恭(オードリー)=225本といった顔ぶれ。 やはり、帯番組のレギュラーをもっているタレントは強く、4月期から「バイキング」(フジテレビ)の全曜日のMCとなった坂上は、昨年の10位から大きく上昇した。一方、3月いっぱいで「スッキリ!!」(日本テレビ)のMCを降板したテリー伊藤は昨年の8位から20位圏外に転落した。 女性では、「S☆1」(TBS)、「ヒルナンデス!」(日本テレビ)、「サタデープラス」(TBS)などのレギュラーをもつ小島がトップに立ち、昨年の女性2位(総合20位)からジャンプアップ。昨年、女性首位(総合17位)だった大久保佳代子は209本で女性2位(総合13位)につけており、下半期での逆転V2を狙う。女子3位(総合16位)は「あさチャン!」(TBS)のMCを務める夏目三久(203本)で、昨年の女性6位(総合20位圏外)から大きく順位を上げた。 同社では、今年から新たに「テレビ番組出演タイトル本数ランキング」の調査を開始した。これは、同一番組タイトルは複数回放送されても1本とカウントするもので、いかに多くの番組に出演したかが問われることになる。同ランキングで上半期の首位になったのは、鈴木奈々(95タイトル)で、2位=澤部(90タイトル)、3位=大吉(83タイトル)がトップ3に並んだ。グラドルのおのののか(78タイトル)は4位に食い込み、ベテランではヒロミ(65タイトル)が9位に入った。 また、昨年上半期と比べて、出演本数が増えた「ブレイクタレントランキング」は、昨年上半期0本だった8.6秒バズーカーと元柔道家・篠原信一が88本増でトップタイ。3位タイは、あばれる君、厚切りジェイソンの81本増。以下、5位=クマムシ(77本増)、6位=前園真聖(75本増)、7位=吉田羊(63本増)の順となった。その他、女優のみならず、マルチに活躍する西内まりや、松岡茉優が出演本数を増やしている。※調査は1月1日〜6月30日までにかけて、NHK総合、日本テレビ、テレビ朝日、TBS、テレビ東京、フジテレビの東京地区地上波オンエア分における出演本数がカウントされた。グループの場合は、グループ出演と個人出演の合算。アナウンサー、通販番組出演者、再放送番組、ナレーション出演は対象外(坂本太郎)
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芸能ネタ 2015年07月14日 11時57分
博多華丸・大吉 福岡時代の苦悩明かす「手のひらどころか、全身ひっくり返った」
13日深夜放送のテレビ朝日「タカアンドトシの道路バラエティ!? バスドラ」に出演したお笑いコンビ・博多華丸・大吉が、福岡時代の苦悩を赤裸々に明かした。 番組では、博多華丸・大吉の歴史を振り返った。1990年の6月に吉本福岡事務所に所属し、7月から本格的に舞台での活動がスタート。さらに翌年の春にはテレビ出演が決まっていたという2人。そして、福岡の人気番組「とことんサンデー」に出演し、大ブレイクを果たした。デビューから順調にステップアップしたが、95年から突然、人気は急降下したという。 大吉は「大阪の面白いお笑い番組を福岡(のテレビ局)で流し始めた。具体的に言うと『吉本超合金』」と明かした。「吉本超合金」はFUJIWARAと2丁拳銃が身体を張ったロケをする人気番組で、大吉は「あれが始まってから雲行きがガラっと変わった」と説明した。 華丸も「そのぐらいのタイミングで福岡の吉本が劇場作ったんだよ。(大阪の)人気者が来るようになった。そしたらもう…手のひらどころか、全身ひっくり返ったぐらい、もう本当にホームなのにアウェイなっちゃって。出てっても『アンタたちじゃない、私たちは大阪待ちや』と。僕らが漫才のときは文庫本読むんですよ」と当時の厳しい状況を明かし、大吉が「あの頃は辛かったね」と振り返った。 博多華丸・大吉は、華丸が2006年の「R-1グランプリ」で優勝。コンビとしては「THE MANZAI 2014」でもチャンピオンに輝いている。今では、実力派コンビとして人気を博しているが、やはり過去には悔しい思いをしていたようだ。
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レジャー
GI阪神JF 藤沢和師が岡田繁幸氏が素質大絶賛 日本一の相馬眼にかなった逸材 イクスキューズ
2006年11月28日 15時00分
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レジャー
GI阪神JF アストンマーチャン 2歳女王へ
2006年11月27日 15時00分
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レジャー
GIジャパンC 世界最強へ ハーツ 2度目のディープ狩りだ
2006年11月21日 15時00分
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レジャー
マイルCS確定 古谷指名 大穴 ロジック
2006年11月17日 15時00分
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レジャー
マイルCS メジャーGI連覇だ
2006年11月13日 15時00分
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レジャー
GII AR共和国杯 ドラゴンキャプテン嵐呼ぶ
2006年11月04日 15時00分
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レジャー
JBCマイル バトラーV4で決める ダート界制圧
2006年10月30日 15時00分
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レジャー
GI天皇賞・秋追い切り速報 バランスオブゲームまた固まった
2006年10月25日 15時00分
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レジャー
GI天皇賞・秋 注目は黄色と黒の縦ジマ勝負服 狙え!社台ファーム2頭 ダンスインザムードとローエングリン
2006年10月24日 15時00分
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レジャー
GI菊花賞追い切り速報 フサイチジャンク反撃
2006年10月18日 15時00分
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レジャー
GI秋華賞 藍子 キス&キッス軸
2006年10月14日 15時00分
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レジャー
GII毎日王冠 テレグノシス花道V
2006年10月07日 15時00分
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芸能ニュース
よしお兄さん、だいすけお兄さんの結婚を祝福「直接聞きました」 パパとしての喜びを語る
1999年11月13日 11時50分