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トレンド 2010年12月28日 15時30分
2011年は“心の疲れ”から解放されよう! 映画『アブラクサスの祭』
現代人の心の病みが叫ばれて久しい。仕事や勉強、または子育てや就職が上手くいかないと考え込んでしまい、悩んだ果てには精神科の扉をたたく事に…。たしかに情緒不安定なわが身を専門家の診察にゆだねるのも有効な手段であるが、処方薬やカウンセリングで治療するよりもまず、“心”が解放される事も大切。ミュージシャンのスネオヘアーが初主演をつとめる映画『アブラクサスの祭』(公開中)では、「自分」をまるごと受け入れる“禅”の考えを生きるヒントにうつ病と闘う僧侶を描く。 『アブラクサスの祭』は、現役住職で芥川賞作家である玄侑宗久の小説を映画化した人間ドラマ。うつに苦しみながらも、かつて熱中した音楽に向き合うことで懸命に生きようとする僧侶と、彼を温かく見守る周囲の人々の姿を描く。僧になった「役割」に悩む浄念(スネオヘアー)は、自分の中で音楽への想いがたち切れていなかったことに気付き、町でライブをやりたいと強く思いはじめ…。 忙しい現代、「自分」をまるごと受け入れ、心が解放されるという事はそう簡単な事では無い。しかし、この映画の主人公のようにかつて夢中になってやった事(音楽)を思い出し、再度試みる事で“心の疲れ”を吹き飛ばす事はできるはず。来たるべき2011年、何をやっても上手くいかないという人は、歌でも、サッカーでも、ボーリングでも、かつて夢中になった事に再チャレンジしてみるのもいいのではないか。『アブラクサスの祭』監督・脚本:加藤直輝原作:玄侑宗久『アブラクサスの祭』(新潮文庫刊)出演:スネオヘアー、ともさかりえ、本上まなみ、小林薫12/25(土)よりテアトル新宿ほか全国順次ロードショー★オフィシャルサイト:www.aburakusasu.com(C)「アブラクサスの祭」パートナーズ
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トレンド 2010年12月28日 15時00分
『SPACE BATTLESHIP ヤマト』版じゃないデスラー総統が発売!
現在大ヒット公開中の映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』。 往年のファンからも批判的な声は思っていたよりも少なかったようだ。オリジナルの『宇宙戦艦ヤマト』を愛するスタッフとキャストが、オリジナル版にリスペクトした映画化を試みたことが大きかったのだろう(企画段階ではオリジナル版とは大きく設定の変わった方向で映画化というアイディアも何度か挙がったという)。 そんなオリジナルの宇宙戦艦ヤマトを比較的忠実な形で映画化した『SPACEBATTLESHIP ヤマト』であるが、大幅に変更されてしまった人気キャラクターもいる。 そのキャラクターとは、ガミラスのデスラー総統だ。初代74年版『宇宙戦艦ヤマト』から登場したこのキャラクターは、ナチスドイツのヒトラーをイメージした絶対悪の存在だった。アニメ版がシリーズを重ねるとその人気はますます高まり、デスラーの主題歌まで誕生した。原作者である故・西崎義展氏もかなりお気に入りのキャラクターだったらしく、デスラーだけでのアニメ化も構想していたようだ。 そんなアニメ版デザインのデスラーがフィギュア化されることが先日発表された。 『宇宙戦艦ヤマト オフィシャル・ファクトファイル』を発売するデアゴスティーニ・ジャパンから誌上限定として登場したのだ。造形はキャラクターモデルの第一人者三枝徹氏、プロデュースは安斎レオ氏という鉄板アイテムとなっている。全体の雰囲気もよく再現されているが、マントの形状が秀逸だ。まさにファンにはたまらないフィギュアだと言えるだろう。◆『宇宙戦艦ヤマト』デスラーフィギュア 1/6サイズ 13,800円 カラー版とブロンズ版の2種あり原型制作:三枝徹、ポリストーン完成品。受注締め切り,2011年 1月31日(C)東北新社http://deagostini.jp/select/series_list.php?title_code=USY(「作家・歩く雑誌」マイティジャックのリメイクを夢見る中沢健 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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社会 2010年12月28日 15時00分
年越し派遣村はいずこへ?
一昨年、昨年と年の瀬になったら話題になった年越し派遣村。今年はとんと聞かないが、どうなったのであろうか? 一昨年末、不況から多くの企業が派遣社員、季節労働者を切り捨て、仕事はおろか住居も追われた人が激増したことで、自立生活サポートセンターもやいなどが中心となって実行委員会を発足。困窮者に対して、同委員会は日比谷公園で炊き出しなどを行ない、簡易宿泊所を設置。同委員会の要望を受け、厚生労働省は同省の建物内にある講堂を一時的に宿泊所として提供した。 昨年末には政府の要請を受け、東京都が国立オリンピック記念青少年総合センターに、公設派遣村を設置。宿泊所、食事を提供し、職業相談にも応じた。同施設は年明けに場所を移して継続したが、仕事探しのための交通費などとして、入所者ほぼ全員に、2万2千円を支給したところ、多くの利用者が都が禁じた無断外泊をした上、施設に戻らなかった者も多数出た。また、禁止をしていた施設内での飲酒をする者が出るなど、物議をかもした。 これを受け、昨年末の実行委員らが「年越し派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会」が発足。同会の要請により、厚生労働省は通年的な相談を受け、11〜12月には「住居・生活困窮者応援プロジェクト」を実施し、生活・就労支援を強化。12月29、30日には大都市部のハローワークで年末緊急相談を受けることになっている。厚生労働省は都の協力が得られないこともあり、今年は年越し派遣村を設置しないことを明言した。 総務省は今年10月の完全失業者が334万人で、1年前に比べ10万人減少したと発表している。ただ、失業者とはハローワークで求職活動している人のみの数字。ハローワーク以外で仕事を探している失業者もいれば、就職できずアルバイト生活をしいられている人も数多く存在する。実態は数字だけでは図れない。 今年は消えた年越し派遣村。仕事も住居も金もない人は、路上で年を越すしかないのか?
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トレンド 2010年12月28日 14時30分
庄司ゆうこのポジティブ・ヨガ 『半月のポーズ』
こんにちは〜〜☆ もうクリスマスも終わって次は大晦日ですね♪ クリスマスイブはヨガ教室の取材で、25日のクリスマスはライブハウスで歌ってました♪ 私は仕事が大好きだから、クリスマス、暇だったらどーしよーって不安だったけど仕事が入ってよかったです。 皆さんはどんなクリスマスを過ごしましたか!? 今年はリアルライブさんでこうやってヨガのポーズを紹介出来て嬉しかったです! リアルライブ見たよーって結構色んな方に言われますよっ! 引き続き来年も週一回、「ポジティブヨガ」の記事を書いていこうと思うのでどうぞ宜しくお願いします♪ それでは本日ご紹介するポーズは、「半月のポーズ」です★ まず、左足を軸にして、上体を少しずつ倒し、左手をマットに付けます。 次に右足をお尻より少し高い位置まで上げ、バランスが取れたら、右腕も指先を伸ばし、天井方向に突き上げていきます。 視線はなるべく伸ばしてる指先を見れれば完璧です! 私もこのポーズは苦手で手がマットの上でプルプルしちゃってますが、腕の力がつくし、脚の引き締めにも効果的なポーズなので、是非チャレンジしてみてくださぁーい。 それでは皆様、よいお年を〜♪ 今年一年、ありがとうございました。《★庄司 ゆうこ★プロフィール》1984年2月22日、兵庫県生まれ。T160 B86 W57 H84 B型2010 年最強レースクイーン図鑑掲載中、『出番ですよ!「美女の館」』(千葉テレビ)レギュラー出演中オフィシャルブログ=ポジ☆ポジ☆ポジティブ(http://ameblo.jp/shojiyuko/)☆ポジティブスターヨガ☆http://www.ps-yoga.com/
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スポーツ 2010年12月28日 14時00分
実戦向き左腕・土肥が語るメジャーへの夢
「野球を続けたい」−−。土肥義弘投手(34=前埼玉西武)に大リーグ挑戦を決意させたのは、純粋な情熱からだった。 土肥は春日部共栄高校(埼玉県)、プリンスホテルを経て、97年ドラフト会議で西武ライオンズ(4位)に入団した。プロ2年の99年からはセットアッパーもできる『シチュエーショナル・レフティー』として、一軍に定着した。年間本塁打数55本の日本タイ記録保持者、タフィ・ローズ(近鉄−巨人−オリックス)に「大の苦手」と言わしめたのは有名だが、メジャー流に称すれば、チーム事情によって先発、救援と、さまざまな役どころもこなせる『スイングマン』でもある。 そんな彼がアメリカでのトライアウトを終え、帰国したのは12月3日。「準備していったことは全て出せた」と、“手応え”を語っていた。代理人によれば、メジャー各球団との交渉は小康状態とのこと。トライアウト中、「対左打者に投げたチェンジアップ」を称賛するメジャースカウトの声は日本にも届いていた。ウィンター・ミーティングも行われる12月は、メジャー各球団にとっては『補強シーズン』とも言えるが、米FA選手や有名選手との交渉が優先されてしまう。今は朗報を待ちながら、来季に備えているという。 土肥の人柄を物語るこんなエピソードが聞かれた。 食事を兼ねた代理人との打ち合わせで、彼はいつも違う場所を指定してきた。 「理由? 会ったときに話すから…」 代理人は土肥投手の言葉に従い、都内某所に向かった。 「英会話を習い始めたんだ」 日本通算13年、335試合を投げ抜いたレフティーはストイックでもある。サプリメントに関する知識も独学で習得し、『内臓』面での身体作りのため、定期的に3日間の断食も行う。その間、特性ジュースは口にするが、あくまでも血糖値を下げないためであり、外食でオーダーするメニューも『野菜の量』を気に掛けているという。 「弁えている…」 帰国後、土肥は何度かそんな言葉を口にした。米トライアウト中、ニューヨークメッツで成功した高橋尚成投手(エンゼルス移籍)と「タイプが似ている」との声も伝えられていた。ボールのキレ、コントロール、駆け引きで相手打者を崩すピッチングは、確かに類似する部分も多い。渡米中、土肥は「高橋タイプ」なる日本人メディアの取材に相槌こそ打っていたが、本当は「高橋さんの方が直球のキレは上。自分はもっと頑張らなければいけない」と思っていた。そんな謙虚でひたむきな性格が、トレーニング後の『英会話学習』にも向かわせたのである。 一般論として、150強の直球を投げ続ける投手なら、メジャースカウトへのアピールも簡単だ。しかし、土肥はセットアッパーもこなせる『シチュエーショナル・レフティー』である。満塁の場面を想定し、低めの変化球やチェンジアップで対戦打者を崩す投球術を米トライアウトで披露していた。 「縫い目の高いメジャー球が合っていた」とも伝えられたが、トライアウト前、感触や湿度、手の渇き具合、ロージンを付ける量の加減など何パターンもテストし、短期間で適応させたのが真相である。 野球に対する貪欲な姿勢は、並大抵ではない。2011年、新しいステージのために。今はその『大いなる助走』と言ったところだろう。(一部敬称略/スポーツライター・美山和也)※土肥投手の直筆サインボールプレゼント<http://npn.co.jp/present/detail/8976616/>
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スポーツ 2010年12月28日 14時00分
亀田興毅、日本初の3階級制覇も、ボクシング業界内では冷ややかな反応
WBA世界バンタム級2位の亀田興毅(亀田ジム)が、12月26日、さいたまスーパーアリーナで行なわれた同級5位のアレクサンドル・ムニョス(ベネズエラ)との王座決定戦で、3-0の判定勝ちを収めて王座奪取。日本初の3階級制覇を達成した。 過去に2階級を制した日本のジム所属選手はファイティング原田、柴田国明、井岡弘樹、畑山隆則、ホルヘ・リナレス、粟生隆寛、長谷川穂積と、興毅を含め、わずか8人しかおらず、その上を行く3階級制覇は、日本ボクシング界ではまさしく偉業。 にもかかわらず、ボクシング業界内の反応は冷ややかというのだ。その理由は亀田陣営の手法にある。興毅が世界を奪取したタイトルマッチ3戦中2戦が王座決定戦であること。決定戦での王座獲得は、現役の世界王者を下したわけではなく、その価値も薄れるとの考え方がある。今回の対戦相手はランキング5位の選手で、陣営が“勝てる相手”を選択したとの見方も根強くある。 また、興毅が狙ったバンタム級の層の薄さも評価を下げる要因となった。今まで、興毅は2階級下のフライ級だった。飛び級したからには、それなりの理由があった。バンタム級の王座は現在空位、元王者・長谷川が階級を上げるなどして、この階級は人材不足となっていたのだ。 興毅は近い将来、スーパーフライ級に1階級落として、4階級制覇を狙う意向を明らかにしたが、なぜ、最初からスーパーフライ級を狙わなかったのかの疑問が残る。 日本人初の2階級制覇を成し遂げた原田は、興毅の3階級制覇を評価する一方で、「当時とは階級制が違う」と発言。原田が2階級を制した65年当時は8階級しかなかったが、今やボクシングは17階級にまで増えた。原田の時代に1階級上げると、かなりのウエイト増がしいられ、階級数が少ない分、人材もあふれていた。日本初といえ、昔と今では比較対象にはならないのだ。 本来なら、称賛されてあまりある快挙なのだが、業界内で評価されないというのは寂しすぎる。(ジャーナリスト/落合一郎)
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トレンド 2010年12月28日 13時30分
本当は怖い、クリスマス・ケーキ
楽しかったクリスマスが先週末に終了し、2010年もあと残すところ数日。そろそろ正月用の食料を買おうと思い立ったお宅の冷蔵庫の中段あたりに、どどーんとクリスマス・ケーキの箱が鎮座していないだろうか。「賞味期限2〜3日くらい過ぎても大丈夫。大丈夫。けっこう高かったし捨てちゃうのもったいないから、もう少しとっておこう」なんて思っているあなた。クリスマス・ケーキは普段のケーキとは少々事情が違う、本当は怖いシロモノ。悪い事は言わないから、そのケーキは早く処分した方がいい。 ご存知だと思うが、お酒に浸したドライフルーツを混ぜたケーキや、ナッツを入れて焼いた固パンなど、海外のクリスマス・ケーキとは違い、日本でクリスマスに売られるショート・ケーキは生クリームや苺などが乗った“生ケーキ”と呼ばれるもの。当然24日のクリスマス・イブまでに間に合わせるため大量に作り置きする。まずスポンジ台は何か月も前に焼いておいて冷凍保存。出荷する直前に解凍して一斉にデコレーションするのだ。この時期に合わせて大量のイチゴを用意するのも至難の業。間に挟むメロンなど、生のフルーツも冷凍されていた可能性ある。ある有名デパートのケーキ売り場では、暖房の効いた店内に半日置いておいたケーキのイチゴにたちまち白いカビが生えてしまったとか。ようするに、生で店頭に出ているとはいえ、クリスマス・ケーキの素材は古い場合があるのである。 形の崩れやすいケーキは配達できないので、事前に予約してクリスマス当日引き換えに行く。お店やデパートの冷蔵庫内は限られているため、引き換えを待つ大量のケーキは店内や表に数時間放置。それを買って暖房で暖かい電車に揺られ家路につく間に、保冷材はすっかり溶けてしまう。生クリームは乳製品なので、無添加だと意外に腐りやすい。ある大量に売り出されるメーカーのケーキにはイチゴやクリームが腐らないように保存料をたっぷり振り掛けるというウワサも…。長時間放っておけば酸化して、それはそれで怖い。 さあ、これだけの理由を聞いてもクリスマスを3日以上過ぎたケーキを、あなたは食べますか? 腹痛を起こして駆け込みたくても、年末年始多くの病院は休診。ケーキに限らず、食中毒にはご注意を!
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スポーツ 2010年12月28日 13時00分
なぜチケットショップの社長がリングに上がるのか? 『T-1』二見社長インタビュー(2)「5万のグラサンも割られたし、離婚もした。でもT-1興行を続ける!」
“二見激情”でおなじみのプロレス界きっての爆弾男・二見理(ふたみ・おさむ)。とはいっても彼は現役プロレスラーでも団体経営者でもなく、東京・水道橋のチケットショップ『T-1』の名物オーナーである。 そんな彼がなぜ、女子プロレス興行『T-1興行』を打ち、業界に波紋を広げ続けるのか? ショップ『T-1』、そして『T-1興行』の生い立ちについて、プロレスにも造詣の深いオカルト作家・山口敏太郎氏が、二見社長にインタビューを敢行した。 山口 なぜチケットショップの社長がプロレスのリングに上がって試合をしているのか、いろんな角度から聞きたいんですけど、まず初めにT-1興行のリング上で、離婚を発表されたこともあったそうですね。 二見 2007年の7月に離婚し、10月8日の『T-1グランプリ(以下・GP)』新宿FACE大会で発表しました。試合後の独演会で離婚のことを言ったんですが、離婚そのものよりも、自分が結婚してたことに、選手やファンは驚きだったみたいで(笑)。それまで、一切プライベートを公表していなかったから。 山口 奥さんには「プロレスのリングに上がるなんて危ないからやめてくれ」と言われてたんですか? 二見 実は、一回観に来てるんですよ。前川久美子と金網越しでガチ口論した1回目の『T-1GP』を。その時、「お金を払ってるプロモーターが何であんなことを言われなきゃいけないの!?」って、前川に対して怒って。普通の感覚だったら怒るよねぇ。 お金を出してリングで痛い思いをして、そこまでして興行を打つ神経がわからないって言うんですよ。おっしゃる通りなんだけど、このままじゃ引き下がれないって気持ちがあるじゃないですか? 男が夢を追いかけると、女性は冷静になると。 山口 経営者として、男として、引けない時ってありますもんね。でも、女はわかってくれない(苦笑)。 二見 今は独身の身だから、何やってもいいって気持ちですけど。前の女房は仕方ないにしても、子供には一度観に来てほしいという気持ちはありますね。今年で高校を卒業するんですが、その年齢になれば、「お金を稼ぐのは大変なんだ」という、親父の苦労もわかってくれると思うんですけど。【チケットショップ『T-1』】 山口 本業のチケットショップの話を聞きたいんですけど、チケット&トラベルT-1を始めたのは何年前ですか? 二見 1995年8月23日に開業したので、15年経ちました。売上のメインはプロ野球のチケット。東京ドームの巨人戦から、神宮のヤクルト戦、西武、横浜、千葉ロッテ…と、首都圏の野球のチケットを中心に扱ってます。 山口 野球が一番売り上げがいいのですか? 二見 断トツですね。自分はアンチ巨人なんですが、巨人戦でメシを食っているという(笑)。 山口 どこのファンなんですか? 二見 阪神ファンです。T-1のTは、タイガースのTですから(笑)。 世間からは「野球人気は落ちた」といわれてますけど、全然落ちていないですね。逆に伸びてますよ。落ちたのは巨人の人気だけであって。日本ハムや楽天を始め、地域密着型のチームが増えて、地方での野球ファンは増えているし。 水道橋に店舗を構えているので、チケット買うのは巨人ファンだけと思うかもしれませんが、アンチ巨人も多いですから。たとえば巨人vs中日戦を買いに来た中日ファンのお客さんが、巨人戦と一緒にヤクルトvs中日や横浜vs中日のチケットも買ってくれる、そういう相乗効果もありますから。それに広島やソフトバンクのファンは、結束力が強いんですよ。首都圏での試合は全部観戦するとか。巨人戦より、ロッテ戦の方が売上がいいですし。プロレスとはファンの絶対数も違うので、野球のチケットは安定して売れますね。 山口 プロレスのチケットはどうなんですか? 二見 …全然駄目ですね(苦笑)。そもそも後楽園ホールでの開催が激減したから。 一番の問題なのは、プロレスラーがファンと、mixiやツイッターで直接やり取りしちゃうでしょう? あれじゃ、ファンとの境界線がどうでもよくなる。小劇団じゃねぇんだから。プロじゃねぇよって話で。 山口 そのレスラーのチケット手売りの営業力が、マッチメイクに左右される。資本主義社会の見地からすれば正しいんですけど、それじゃプロレスが持ってた「幻想」っていうものがなくなっちゃいますよね。 二見 プロ野球やプロサッカーの選手が、ファンにメールでチケットを買ってくれと、やり取りしますか? 元々プロレスラーは、近寄りがたい凄い存在だったのに、今じゃ普通のお兄ちゃんみたいなヤツが手売りでしょ。一般人と同じなんですよ。そこを変えたくてT-1興行をやってるんですけど、その思いは伝わってないですね。じゃなかったら、こんな傷を作ってまでやらないですよ!(と、シャーク土屋の有刺鉄線バットでできた左手の傷を再度差し出す)。【『T-1興行』と“二見激情”】 山口 では、T-1興行旗揚げの経緯と、二見社長が自らリングに上がり始める軌跡を振り返りたいと思います。 二見 「T-1興行とは何か」という話から始めないといけませんね。まず5年前の8月23日に後楽園ホールで、T-1創立10周年として『T-1 GP』を行ったんですよ。 山口 なるほど、この時から「フタミデー」を選んでたんですね(笑)。 二見 店を開業した時からです(笑)。後楽園ホールでやったことが重要で。この頃に新木場1st Ringに新宿FACEと、後楽園よりももっとお手軽に興行が打てる会場が都内に立て続けにできたことで、後楽園での興行が減ってきたんですよ。これではイカンということで、復興を掲げて女子プロレスのオールスター戦を後楽園でやろうと。 ところが興行を打ってみたら、予想以上に女子プロの内情が腐っていた。今までは外からの立場で見ていた時は、停滞の原因はフロントだと思ったんですよ。要するに周り背広組のフロントがどうしようもなくて、選手の足を引っ張ってるのかと思ったら、業界の中に入って自分でマッチメイクしてみたら分かったのが、違うんだ、根っこは。選手がダメだった。フロントは選手傷つけないために泥を被ってただけの話で。諸悪の根源は選手なんです。 その女子プロのダメな部分を露呈したのが第1回の『T-1 GP』ですよ。そこで、今や伝説となっている前川久美子のマイクが出たんです。「今日は仕方なく試合をしました。こんな意味のない試合はやりたくないです。すみませんでした」って暴言を吐いたんですよ。プロが泣き言を言ったわけです。それでオレがブチ切れて、ガチンコの口論になったんです。 山口 そこから「T-1興行はガチ!」というイメージが定着したんですね。 二見 試合より、そのガチンコの喧嘩が一番湧いちゃったんだよね。自分のマイク「二見激情」が試合を超える人気を博すという逆転現象になったんですよ。最終的にリングに上がらざるを得なくなっちゃった、というのが経緯ですね。 で、まだ第1回は口論しただけだったんですけど、第2回大会ではリング上で堀田祐美子と喧嘩したわけですよ。その堀田には新調したての5万円のGUCCIのサングラスを割られて(笑)。見ます? ほら(写真参照)。 山口 それは精神的にダメージ受けますね(笑)。 二見 このサングラスは、T-1の歴史そのものですよ(笑)。 ちなみに二見は毎回試合をやっているのかとよく聞かれるんですが、実際はそうじゃなくて、初めて試合に出たのは、第8回目の07年6月27日の新宿FACE大会ですね。第8回大会の大会名に、二見デビュー戦と謳っていたんですが。全14回大会中、試合をやったのは6大会。 山口 いつも乱闘してるイメージだから、ずっと出ているのかと思いました(笑)。 二見 結局ファンも、「二見激情」を観に、チケットを買って会場に来てるんでね。引っ込みがつかないというのもありますね。 山口 男子プロレスは興味ないんですか? 二見 男子は自分がやらなくてもやる人がいるし。あと男子を復興させるのは難しいと思う。女子のほうが可能性があるので。 山口 T-1興行がメディアにあまり取り上げられないのはなぜですか? 二見 本当のこと言うからじゃないですか。あと、選手より目立つから。業界として好ましくない部分も遠慮なく言うからね。今の専門誌は、選手の広報誌に成り下がって傷の舐め合いをしている。 山口 まぁ、プロレスマスコミの売上が落ちてるのもそこでしょうね。 二見 やっぱり記者にメシ食わせたり、パンフの原稿などの仕事を与えたりしないと駄目みたいで(苦笑)。DEEPの佐伯繁代表が慕われているのは、そこが大きいわけだし。実際、格闘技マスコミは佐伯さんのことを「親分」と慕っているし。 山口 見た目だけじゃなくて、懐も太っ腹なんですね(笑)。 二見 反面、競技性を追求してる修斗はそういうことやらないから、kamiproでの記事が少ない。で、K-1の谷川さんや佐伯さんばっかり載っているという(苦笑)。そういうことだろうね。 T-1興行には、毎回格闘技の関係者が観戦に来てくれるんですよ。佐伯さんや島田裕二レフェリーとか。あと、修斗の北森代紀広報に、ジュエルスの尾薗勇一社長にヴァルキリーの長尾メモ8氏、パンクラスなど…。そうだ、ジュエルスの杉山しずか選手も来たし。こっちはプロレスのリングであって、格闘技業界とはあまり接点がないから来やすいというのもあるでしょうけど、やっぱり彼らにしたら、自分たちが言えない本音を二見が言ってくれる…というのがあるんでしょう。 ただプロレスだと、そうはいかない。若い選手がT-1に近づくと、団体の上層部から「なんだ二見のところに行って…」と文句言われるとか、実際にあるので。T-1のリングに上がりたいという選手、実は多いんですけどね。 山口 でもそれは、選手一人ひとりの判断に任せる問題ですよね? 二見 顔色伺う選手ばかりでね。そこからして駄目なんだけど。自分は、大御所に嫌われているんですけど、言われたヤツはそこから次のストーリーを展開することを考えたほうがいいと思う。 山口 昭和の新日本プロレスの新間寿(元・営業本部長)さんだったら、スキャンダルを必ず次の興行に結びつけてたんですけどね。(つづく)◆『二見記念日 T-1スペシャル〜一期一会〜』日時:平成23年2月3日(木)開場/19:00 開始/19:23(※イク〜・フタミ!)会場/新木場1st RING(東京都江東区新木場1-6-24)出場予定選手:二見社長、川田由美子、キラ☆アン、松澤チョロ特別ゲスト:ターザン山本!、草間政一≪決定カード&特別トークショー≫シングルマッチ キラ☆アン vs 松澤チョロ特別トークショー ターザン山本!&草間政一◇前売りチケット料金表 ※当日券は500円UP トップワンシート(最前列) ¥4500T-1スペシャルシート(ひな壇) ¥3500ペアシート(2枚1組) ¥5000(T-1のみ、当日販売なし)主催:チケット&トラベルT-1(東京・水道橋)
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トレンド 2010年12月28日 12時30分
横浜イルミネーション、夜景編
「横浜」から、どんな言葉を連想するでしょう。開港の街、帆船日本丸、港の見える丘公園など、海に関するものが多く挙げられます。また、冬のこの時期なら、イルミネーションや夜景スポットが思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか。そんな横浜の街を歩いてみました。 出発は、JR石川町駅。電車から降りると、ホームの壁一面がペイントされています。2つの色に分かれています。赤い壁に沿って歩くと中華街へ通じる出口に、青いほうは元町(もとまち)に出ることができます。元町方面の改札へ向かいました。 石川町駅を出てすぐの場所に「横浜元町ショッピングストリート」の入り口があります。イルミネーションが灯るゲートの上に、フェニックス象があります。夜空へ羽ばたくようです。「横浜元町ショッピングストリート」には、セレクトショップや、カフェなどが並びます。 「横浜元町ショッピングストリート」の出口近くで脇道に入りました。急な坂道の前に出ます。その坂を、外国人墓地に沿って登ると、閑静な街並みが見えます。通りには、所々、ライトアップされた飾りがありました。ここ山の手地域は、かつて外国人居住区でした。現在も、多くの洋館があります。山の手マダムが、犬を散歩させながら歩いていたり、「あかいくつ」と車体に書かれたバスが走っていたりします。通行人が、信号で止まっていたバスの入り口をたたくと、バス停ではないのですが、バスのドアが開きました。 港の見える丘公園からは、横浜ベイブリッジの夜景が見えます。横浜ベイブリッジ上空を、時折、大型飛行機が飛び去っていきます。横浜ベイブリッジの他にも、横浜マリンタワー、山下公園前の海で博物館船として公開されている氷川丸などの明かりが見えます。港の見える丘公園は、夜景を眺める人と、写真を撮る人でにぎわっていました。 丘を降りて山下橋を渡ると、山下埠頭があります。山下埠頭からは、海を挟んだ対岸に、横浜ランドマークタワーなどの明かりが見えます。氷川丸やクルージング用の客船らに加え、横浜港内を航行する貨物船も、夜の海を、ライトで照らしています。 山下公園には、童謡『赤い靴』に歌われた「赤い靴はいてた女の子」の像があります。童謡『赤い靴』は、横浜の埠頭から汽船に乗って外国へ渡った少女を思う歌です。 その山下公園の先には、横浜赤レンガ倉庫があります。開港の街横浜を象徴する戦前に造られた倉庫群ですが、使われなくなり荒れるままに放置されていた時代もありました。2000年代になって、赤レンガパークとして蘇りました。異国情緒が漂う赤レンガの建物が、オレンジ色の明かりを灯しています。 赤レンガパークのイベント広場では、2010年12月4日から2011年2月28日まで、「アートリンク・イン・横浜赤レンガ倉庫」として、屋外スケートリンクが設置されています。若いカップルや、親子連れらが、赤レンガ倉庫のイルミネーションのなかで、スケートを楽しんでいます。(竹内みちまろ)
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スポーツ 2010年12月28日 12時01分
元近鉄戦士・吉岡雄二氏が引退表明!
巨人、近鉄、楽天を渡り歩いた吉岡雄二内野手が現役引退を決意した。 吉岡は08年オフ、楽天から戦力外通告を受けた後、メキシコ球界に挑戦。「メキシコ球界初の日本人バッター」として、ヌエボラレド・オウルズで活躍した。2010年は現地・野球アカデミーの指導も務めたが、帰国後、家族、関係者とも話し合い、現役引退を正式に決定した。 ちょうど1年前の今頃、筆者は吉岡に「今後」について質問したことがある。 「自分自身に納得していれば、(楽天を)クビになったときに(現役を)辞めていたと思うんです。気持ちのなかで何かモヤモヤしているものがあって、次に何かするとき、それが野球以外だったとしても、モヤモヤしているものが残るんじゃないか、と。一軍の試合にも出られない状態が続いていて、そういう気持ちが強くなったんだと思います」 まるで事前に答えを用意していたかのような淀みのない口調で、そう答えていた。 2年間のメキシコ生活で、自分自身を納得させる「何か」を得たのだろう。 メキシコの野球レベルはWBCの上位進出で証明済みだが、その環境は日本の比ではない。吉岡の話によれば、外野席を儲けていない球場も少なくなく、従って、ホームランは「スタンド・イン」ではなく、「球場に外にボールが消えた」ようなイメージだという。「もし、日本なら設計段階で何かしらの対策が施されていたはず」という劣悪な球場もあったそうだ。三塁を守っていて、一塁にスナップスローをしたら、強風で送球がホームベース方向に押し流され、打者走者をセーフにしてしまったこともあった。荒野のような場所にポツンに造られたスタジアムで、『強風地帯』なのである。しかし、吉岡は「みんな同じ条件なのだから」と、決して泣き言は言わなかった。むしろ、野球を続けている喜びに眼を輝かせていた。 「自分が『外国人選手』という立場になって、言葉の通じないところに来て、チームとの接し方、コミュニケーションが成績を左右することを実感しました。野球だけをやっていればいいというのは、非常にストレスの溜まることで、日本に来る外国人選手もそういう気持ちだったんでしょうね」 幸い、吉岡のチームには日本球界を経験した外国人選手もいた。彼らが「分からないことがあったら、何でも言ってくれ!」と声を掛けてくれたことが「本当に有り難かった」と言う。 こうした貴重な経験は大きな財産になったはずだ。また、彼が指導者の道に進んだ場合も同様である。テレビ中継されるメジャーリーグのスタジアムは常に華やかである。しかし、華やかなだけが「外国の野球」ではない。生活や野球環境の違うなかで夢を追うことがどんなに辛いことなのか…。そして、自らに課したノルマを克服したとき、それが人生の大きな糧になる。吉岡は異国で精神的にも大きく成長した。 「もっと、野球を知りたい。巧くなりたい。まだまだ知らないことがあるんじゃないか」 2001年、近鉄で経験した優勝は「巨人時代よりも嬉しかった」という。チームに貢献していたからである。近鉄時代を知るバファローズ選手がまた1人バットを置いた。吉岡のこれからの人生にエールを送りたい。(一部敬称略/スポーツライター・美山和也)サインボールプレゼント<http://npn.co.jp/present/detail/8294490/>